今日、30日で、聖林寺特別展が終わりました。

西陣織りの「光」も下ろされます。
また、来年11月まで、見ることはできません。
昨日、私の小学生の時の仲良し、ともちゃんが、日帰りで北九州から聖林寺と、私の病室を訪ねてくれました。夢のようなことが実現するものです。事情があり、彼女の訪問は諦めていましたので。
彼女が、観音様の前に行くと、小さなお年を召した女性が、まあるくうずくまって座っておられ、「何度も、ここへ、伺うけれど、今まで、なんだか、衣をお召しになっていないように、寂しく立っておられるように感じていたのに、今日はなんと、後ろに美しいものがあり、寂しさがない。初めて拝見する」と言うようなお話をされたそうです。
その方は、見えない光を感じておられたのだと、嬉しく思いました。
弘玄ご住職が、「光背がないお姿は、お痛わしい」と、言われた、信仰心による感性と同じと思います。
日本人が、当たり前に感じていた、本来の仏の姿は、信仰心が見る、有るべき形なのでしょう。天葢を含めて、荘厳の完成を私も、夢みております。
今日は、記者のやまとまなさんと、観音様の彫刻をお願いした、若者二人に、病室にワザワザ来て頂きました。西陣織りの最後の日に、伝えたい、お願いしたいことを、伝えて、心に刻んでもらうために。
もしかして、私に次のチャンスはないかもしれません。
最後の、「光」の横張の正確な位置を伝えました。西陣織りまで、実物大で描き、北九州の古民家多久和さんで、西陣織りの現図を一年以上の歳月、立ち上げたまま、拝見させていただいたからこそ、ここまで、来れた結論です。
天平人には当たり前のことに、たどり着くまで臆病でしたが、納得する法則をやっと見つけた、ドンクササを、開き直って、誉めてやりたいくらいです。若者達に、自信をもって、伝えました。誰もが理解できるシンプルさです。
最後の不安が消えました。天平人の仕事を、大筋、外れずに、辿ったと思います。
残欠の「光」の横幅の一番、張りの強い部分で、聖林寺十一面観音らしい、まさに、蓮弁の形そのものです。
40数年前に、真剣に立ち向かった、天平の花びらを今、やっと、ハッキリと、見届けました。
西村公朝先生が、私に向かって頭を撫でて下さりながら、

「なかなか賢こうならんなぁ」と、嘆かれましたが、次の世で、話題がひとつ増えました🎵
愛宕念仏寺で、春子さんが、公栄さんに、私の病気平癒のご祈祷をお願いしてくださったようです。お陰様で、明日から絶食が終わります。
私だけではなく、ご縁深い方々に、ご加護をいただけますように。私も、ここで深く深くお祈りしております。

