先日、横断歩道を渡るのに困っていた目の不自由な人を向こう側まで誘導してあげた。

断っておきますが、そういうことをやる自分をいい人だとかやさしい人だとか思ってほしくて書いているわけじゃありません。そこはくどいくらいに言いたいところです。

お礼を言われた僕がうれしくなったのは事実ですが、ふと頭に浮かんだのは、「やさしさってなんだろう」という疑問でした。

僕がとった行動は、見た目はやさしさとか思いやりの心から出たもののように見えます。でも、違うのです。困った人を見たのに知らん振りして通り過ぎることは、のどに魚の骨がひっかかったようにいつまでも心に屈託が残るので、骨を抜くつもりで手助けをしただけなのです。つまり、自分のためにやったにすぎないのです。

喜怒哀楽という感情は理解できます。冷たいとか厳しいという態度も理解できます。でも、やさしさというものの根源が僕にはよく分からないのです。自分のことより相手のことを思ってなす行為がやさしさというものだとしたら、良心の呵責に苦しまないように自分のためになす行為が結果的に相手のためになる行為だとしても、それをやさしさと呼んでいいのか分からないのです。

純粋なやさしさを持つ人は少ないのかもしれないし、自分のためであっても人のためになるのであればそれは自分と相手という両方のためであるのだからそれでいいではないかという考え方もあるでしょう。でも、なんかしっくりこないのです。