さて、タイに向けて出発です。
レース前は必ず松本恵二さんのヘルメットを磨いて力をお借ります。
現役の時も監督になってからも。
タイで大嶋和也選手とアンドレア・カルダレッリ選手が実力を出し切れる様に。
そして LEXUSの若い素晴らしい才能の持ち主達にもお裾分け。
恵二さんのスピリットが宿り、彼らが存分に輝く様に。
こうして恵二さんのヘルメットを磨くと、恵二さんの教えを思い出します。
2009年4月12日のブログより引用です。
『思い出します。恵二さんとのものすごく濃かった数年間。
いっぱいしばかれましたし、いっぱい褒めていただきました。
そこにはたくさんの愛がありました。
僕が4輪にデビューした95年、戸田レーシングの戸田さんにお世話になっている頃からアグリさんに引き渡されるまで毎日、24時間と言っていいぐらい恵二さんと過ごさせていただきました。
シゲもですが。
昼、夜は恵二さんの運転手。たまに週末はレーシングな運転手。
僕はこの頃にレーシングドライバーとしての物心がつきました。
この人からすべてを盗みたいと思いました。
ですから今僕のレースに対する考え方、ドライビングスタイル、人間形成すべてがこの頃恵二さんより教わったものです。
脇阪寿一の父は啓行ですが、レーシングドライバー脇阪寿一の父は恵二さんです。
当時の恵二さんの教えをいくつかご紹介しましょう。
※岸本・・・当時の童夢の名物エンジニア岸本さん。恵二さんの右腕
●僕が「アンダーステアーで曲がらない。インに着けません。」と伝えた時、帰ってきた教えです。
松本:もう少し手前からハンドルを切れ!!なぁ、岸本!!
岸本:この車は天才が乗れば速く走れるようにセッティングしてあるから。
●鈴鹿のS字が曲がりません。どうすればよいですか??
松本:お前の侵入スピードが遅いからダウンフォースが足らずにまがらへんねん!!もっとスピード上げて行かんかい!!
岸本:いったらんかい!!ば?っていって、そこでハンドルをズバ?ッと切ってみ!!
曲がるさかい。
●松本:ええか!!F3ぐらいセッテイングして勝ってもしょうが無い。このカテゴリーは若者を育てるカテゴリーや。セッティングはこのまま、お前で何とかしてこい!!そのぐらいできないなら辞めてしまえ!!この先、生き残れる訳がない。
岸本:そんなもん、恵二がああ言っとるからお前が頑張らなどうすんねん!!
辞めんのか!?
●松本:何のカテゴリーも鈴鹿S字の一個目、130R、富士の100R、菅生の3コーナーは全開やさかいに!!
岸本:昔からあの人はああ言うけど、全開で行かれへんかったらピット帰ってきて俺がしばかれんねん!!たまらんで!!お前は様子見て行けよ!!車がバラバラになったら俺がまた造らなあかんねんから。頼むぞ。ほんで、組み上げるの遅かった俺がしばかれんねん。
●プロになってから10年食えて初めて1流や。それまでは2流。
●もてたかったら速く走れ。速く走る事が出来る人間が偉くてかっこいい世界や!!
●すべてのライバルに普段からお前の速さを印象ずけろ!!お前を敵と思わすな!!
ライバルを上から見れる環境を自分の力で造り上げろ。
ほんまはもっともっとあります。
魔法のタイヤと言う物もありました。僕のタイムが出ない時に恵二さんが装着してくださるタイヤ。同じタイヤなのですが、恵二さんが魔法のタイヤと言えばグリップする気になりタイムが上がりました。もちろんグリップせずにそのままクラッシュバリアと言う事も多々ありました。その時は逆にほめられましたね。限界まで行ってる証拠だと。
ただ聴くだけだと何個かは無茶に感じるかもしれませんね。
ふざけてるように聞こえる所もあるでしょう。
でも、この2人がかもしだす独特の雰囲気、プレッシャー、そして指導。
僕がうまく表現できてないかもしれませんが、解る人にはわかると思います。
取り方によってはそうでない。でもすべてにおいて愛があり、車では無く僕を速く走らせるために必死でした。
僕にとっては今でも心にとめている大切な言葉、教えでありシーンです。
僕はこのような教えを受けられた事を自信に苦しい時も負けずに頑張れています。』
まあ、今の時代とは競争のレベルが違ったから成り立った指導でしょうが…笑
でもどんな時代になっても、この様な精神をしっかり継承し、クルマを速く走らせるのではなく、ドライバーが自分自身を速く走らせる手法、気づく能力を養う様な指導が僕にも出来たら、彼らの人生もより良いものになり、モータースポーツも発展すると信じています。
さあ、タイでしっかりまとめて茂木で2連勝!!
張り切って行こう!
Juichi WAKISAKA x youtube Channel 11