第208話(その1):氏神様のお祭りで地域おこしを!
 ―じゅっぺ教授は野中神社の代表役員になりました―

1、未曽有のコロナパンデミックで失われた4年間

令和1年(春祭り奉納者135名・秋祭り奉納者130名)、
令和2年(春祭り奉納者128名・秋祭りはパンデミックにより中止)。
令和3~5年(春・秋ともに神事のみ)。
令和6年(春・神事のみ)。
というわけで4年間、春・秋の8回のお祭りを失い、
地域防災のためにも貴重な地域の人間関係も薄れてしいました。

2、「日はまた昇る!」氏神様の歴史

お祭りの復活決まる。
3月30日の野中神社総代総会において、
令和6年10月20日(日)の秋祭り復活が決まりました。
私の好きな言葉「日はまた昇る(ヘミングウェイ)」です。

さて、野中神社の歴史を述べます。
野中神社(写真1)は、
古来よりこの地に鎮座してきた氏神である野中神をお祀りし、
崇敬する地域の人々の親睦と社会の福祉に寄与してまいりました。

 



神事には必ず富士宮浅間大社の神職様(写真2)に
お祓いをしていただきます。


歴史をさかのぼれば、
天応元(781)年仏教の力を取り入れた聖徳太子の統治が始まり、
朝廷は神仏習合の神として僧侶の形で表現された
『僧形八幡神』を広めました。

野中神社の厨子(写真3)に収められている氏神様(写真4)は、
明確な記録があり、
元禄4(1691)年に代金3両2分で京都より購入したもので、
まさに神仏習合の氏神さまです。

 

 

 


以来、
野中の氏子たちは今年の2024年まで、
実に333年間の長きにわたって、
「祈願」と「感謝」の「祈り」を捧げてきました。

境内には稲作等の農作物の豊作を祈る、
穀物神である稲荷神社(写真5)もお祀りしています。

 

 

(つづく)