とある優れた実践家らが、何十年もかけて発信してきた、実践が広まらない。
知っている人は知っている。だけど、知らない人は全然しらない。
ものすごく惜しい気がする。
だけど、「どうして?」と考えてみる。
いくつかあると思う。
以下、思いつくままに書く。これより過激な思想が含まれていますが、私個人の考えで、さらにただの備忘録として書きますので、ご了承ください。
まず、具体的な手立てが示されない。指示、説明レベルで説明されていない。
協同学習の重要性は理解できた。
だけど、何をすればいいの?
感動や思いだけでは、授業はできない。
普通の教員はこの単元をどうしようかを日々考えている。
その問題に答えねばならない。
次に、容易にできない。
ウォールポケットを使ったり、絵本を使ったりと用意しなければならないものがある。
これは、メンドイし、現実性が低い。
最後に。
学びやすさは大切。
大変納得する。
ただそれと同じくらい教えやすいのもとっても大切。
教えやすい、そして子供の学びやすさを考える。
この狭間にこそ授業の難しさを考えねばならない。
学びやすさなんてこと、良心的な教員なら知っている。
それを超えたところに課題はあると思う。
以上のことを整理してみる。
①具体的な単元で示されてない。
②必要なアイテム・道具がある。
③学びやすさに重点がいき、教えやすさが、希薄。
現場の先生は本当に忙しい。
セミナーや本で、自らの実践を広め、他の先生の参考になってほしいと思うならば、やはり、他の人も実践可能かどうかは考えねばならないとおもう。
子供の現状のみならず、教員の現状を考えねばならないとおもう。
そうでなければ、ただの自己満になりかねない。
他の教師の志気をあげるのには効果的たが、持ち帰るのは熱意だけ。
2、3ヶ月後には何もない。
熱意の続かない自分を嘆く。自分の不甲斐なさを内省する。
もちろん、全員ではない。
協同学習を実践している方もいる。振り返りジャーナルもしている。
ただ、そこまでどれほどの労力がいるだろう。努力がいるだろう。
優れた実践とは何かを考えねばならない時代がきたのではないだろうか。