八百屋お七 | 晴れたらいいね♪

八百屋お七

今日3月29日は八百屋お七の日です

あれ!?
浮世絵紹介したばかりだし偶然にしてはよくできてるなあ?


月岡芳年の八百屋お七画(浮世絵展では義経の弓流し)

歌川国芳の八百屋お七(浮世絵展では一ノ谷の逆落としと壇ノ浦の戦い八艘飛び)

歌川国貞の八百屋お七(浮世絵展では弁慶と牛若丸の五条橋)


さて本題
八百屋お七とは。。


1683年(天和3年)の今日、18歳の八百屋の娘お七が放火の罪で3日間の市中引き回しの上、火あぶりの極刑に処せられました。

前年12月28日に江戸で発生した天和の大火の時にお七の家は燃えてしまい、親とともに寺に避難しました。お七はその寺で寺小姓、生田庄之介と出会い、恋仲になります。やがて店が建て直されてお七一家は寺から出たがお七は庄之介のことが忘れられなかったのでもう一度火事になれば庄之介にまた会えると考えて3月2日の夜に家の近くで放火に及んだのです。近所の人がすぐに気が付きぼやで消し止められたがその場にいたお七は放火の罪で御用となってしまいました。当時は火事が多く、放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていました。


お七が干支の丙午(ひのえうま)の年の生まれであったことから丙午生まれの女子が疎まれるようになり、丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信に変化して広まったということです。


八百屋お七は、井原西鶴の浮世草子『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっています。