『ハロー、僕は生きてるよ ~イラク激戦地からログイン』
は、「テロとの戦争」を唱えたアメリカが軍隊をイラクに派遣し、
戦争状態になったイラクの地から、
ブログで書き込まれた日記を高遠菜穂子さんらが翻訳した本。
アメリカ軍や民兵により、子供や家族、そして兄までが殺され、
憎しみをどうにか押さえて、復興活動を行う著者のカーシムは、
ある意味、武器を取ったチェ・ゲバラよりも勇敢だと思う。
この本の最後には、イラクが平和を取り戻しつつある様子が描かれている。
しかし、その平和はアメリカ軍や、その傀儡政権であるイラク政府がもたらしたものではない。
イラクの部族や平和を望むイラク人がもたらしたものであるこをと忘れてはならない。
この本は、下に説明する2点のことから、「日本人が読むべき本」だと思っている。
まず一点目は、日本政府はテロ特措法などによりアメリカ軍を支援してきた。
政治が混乱する中、新テロ特措法改正案も可決している。
本書で描かれるイラクの人たちの苦しみに、日本人は無関係ではない!
イラクの人たちから憎まれても当然のことをしてきている。
二点目は、小泉政権時代、高遠菜穂子さんらボランティアが拉致された際、
小泉首相が「自己責任」と言い放ち、マスコミがこの意見でバカ騒ぎしたために、
日本国中が捕虜になった彼らをバッシングする、という世界でも類を見ない、
厚顔無恥な事件を起こした。
その意見は、高遠菜穂子さんの著書である、
『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』
の Amazon のレビューで (本記事の最後にリンクあり)、
星1つのレビューを読んでもらえば理解できるだろう。
本の題名となった「それでもイラク人を嫌いになれない」という言葉は、
マスコミがこぞって流し、バッシングの材料となった言葉でもある。
しかし、本書を読むと、この言葉がイラクの人たち、
特にカーシムに向けて言われた言葉であることが分かる
兄を殺されたカーシムには、抵抗軍に参加する十分な理由がある。
平和的な再建活動こそ、イラクに平和をもたらすことは、
頭では十分に理解していた。
その迷いをうち払ったのが、再建を支援していた
高遠さんらボランティアの存在だった。
彼の再建プロジェクトに関する言葉は、胸に突き刺さる。
小泉政権時代に起こった、高遠さんらへのバッシングを、
今こそ、日本人は反省しなければならない。
諸悪の根源は、日本政府と、世論を間違った方向に煽ったマスコミであり、
猛省を促すよう世論を形成していかなければならないだろう。
当時、彼らをバッシングするのに使われた、「自己責任」という言葉は、
その後、非正規雇用やニートの若者たちを攻撃する言葉として使われてきた。
小さな不正を見逃せば、大きな不正を招き寄せる。
不正な目に逢っている人を見捨てれえば、同じ目に遭う人が増える。
この言葉は、この本を読む以前から真実だと思っている言葉だが、
高遠さんらへのバッシング事件が、非正規雇用を生み出し、
その被害者である若者を責める日本の社会を生み出したと感じている。
アメリカが侵略しているイラクやアフガニスタン、
イスラエル軍がジェノサイドを行っているパレスチナ、
これらを見捨てれば、
同じような事件が今後も起こっていくだろう。
Amazon のレビューには1件も投稿されていない。
あまり読まれていないのかもしれないが、
ベストセラーのようなクダラナイ本を読む時間があったら、
この本を読んで欲しい。
は、「テロとの戦争」を唱えたアメリカが軍隊をイラクに派遣し、
戦争状態になったイラクの地から、
ブログで書き込まれた日記を高遠菜穂子さんらが翻訳した本。
アメリカ軍や民兵により、子供や家族、そして兄までが殺され、
憎しみをどうにか押さえて、復興活動を行う著者のカーシムは、
ある意味、武器を取ったチェ・ゲバラよりも勇敢だと思う。
この本の最後には、イラクが平和を取り戻しつつある様子が描かれている。
しかし、その平和はアメリカ軍や、その傀儡政権であるイラク政府がもたらしたものではない。
イラクの部族や平和を望むイラク人がもたらしたものであるこをと忘れてはならない。
この本は、下に説明する2点のことから、「日本人が読むべき本」だと思っている。
まず一点目は、日本政府はテロ特措法などによりアメリカ軍を支援してきた。
政治が混乱する中、新テロ特措法改正案も可決している。
本書で描かれるイラクの人たちの苦しみに、日本人は無関係ではない!
イラクの人たちから憎まれても当然のことをしてきている。
二点目は、小泉政権時代、高遠菜穂子さんらボランティアが拉致された際、
小泉首相が「自己責任」と言い放ち、マスコミがこの意見でバカ騒ぎしたために、
日本国中が捕虜になった彼らをバッシングする、という世界でも類を見ない、
厚顔無恥な事件を起こした。
その意見は、高遠菜穂子さんの著書である、
『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』
の Amazon のレビューで (本記事の最後にリンクあり)、
星1つのレビューを読んでもらえば理解できるだろう。
本の題名となった「それでもイラク人を嫌いになれない」という言葉は、
マスコミがこぞって流し、バッシングの材料となった言葉でもある。
しかし、本書を読むと、この言葉がイラクの人たち、
特にカーシムに向けて言われた言葉であることが分かる
(2004年4月、高遠さんら3人が誘拐された後の日記)
僕は彼女に「イラク人を憎んでいない」と言ってほしかった。
この言葉が、半分兵士で、半分平和の意味を信じ始めた僕には必要だった。
<略>
1ヶ月半近くたっても、ナホコからの返信はなかった。
やっと返信が来た時、彼女は
「イラク支援を継続する。今でもイラク人を愛している」
と言ってくれた。
このとき、僕の中から完全に兵士のマインドが消え去った。
兄を殺されたカーシムには、抵抗軍に参加する十分な理由がある。
平和的な再建活動こそ、イラクに平和をもたらすことは、
頭では十分に理解していた。
その迷いをうち払ったのが、再建を支援していた
高遠さんらボランティアの存在だった。
彼の再建プロジェクトに関する言葉は、胸に突き刺さる。
(ファルージャ再建)プロジェクトの目的は、
ただ単に建物を再建するだけではない。
最大の狙いは、若者の心の再建だ。
小泉政権時代に起こった、高遠さんらへのバッシングを、
今こそ、日本人は反省しなければならない。
諸悪の根源は、日本政府と、世論を間違った方向に煽ったマスコミであり、
猛省を促すよう世論を形成していかなければならないだろう。
当時、彼らをバッシングするのに使われた、「自己責任」という言葉は、
その後、非正規雇用やニートの若者たちを攻撃する言葉として使われてきた。
小さな不正を見逃せば、大きな不正を招き寄せる。
不正な目に逢っている人を見捨てれえば、同じ目に遭う人が増える。
この言葉は、この本を読む以前から真実だと思っている言葉だが、
高遠さんらへのバッシング事件が、非正規雇用を生み出し、
その被害者である若者を責める日本の社会を生み出したと感じている。
アメリカが侵略しているイラクやアフガニスタン、
イスラエル軍がジェノサイドを行っているパレスチナ、
これらを見捨てれば、
同じような事件が今後も起こっていくだろう。
Amazon のレビューには1件も投稿されていない。
あまり読まれていないのかもしれないが、
ベストセラーのようなクダラナイ本を読む時間があったら、
この本を読んで欲しい。
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