以前紹介した『ブランドなんか、いらない』を書いたカナダのジャーナリストであるナオミ クラインの本である。

前作『ブランドなんか、いらない』は、「反グローバル運動のバイブル」と呼ばれ、世界的ベストセラーになっている。
本書は、その後の「反グローバル運動」について、ブログ形式で自分の意見をまとめたものだ。


洞爺湖サミットが大きな混乱もなく(が大した成果もなく)終わったが、
なぜ世界中で開催されるサミットで「反グローバル運動」のデモが起こっているのか、
その理由がマスコミで報道されることはなかった。

本書を読むと、世界中で起こっている「反グローバル運動」がなぜ起こっているのか、
どのような運動を行っているのか、を知ることができる。


日本やアメリカでは共産主義を敵視してきた過去から、
「反グローバル運動=共産主義または左翼」と勘違いしている人も多いであろう。

共産主義から資本主義に移行したチェコの若者たちに触れて、次のように書かれている。
チェコの若者の多くは共産主義と資本主義には共通することがあると言う。どちらも少数の手に権力を集中させ、どちらも市民を一人前の人間以下のように扱う。<略>
こうして2つのシステムに幻滅して育った経験が、今週のイベントに集まった活動家たちの多くが、なぜ無政府主義を名乗るのか、なぜ彼らが貧しい農民や途上国の都市の貧しい人たちとのつながりを感じることができるのか、なぜIMFや世界銀行といった巨大な顔の見えない官僚組織と戦おうとするのかを説明している。
「世界銀行はずっと、地域社会から権力を奪ったり、中央政府に与えてきた。そしていま民営化という形で、それを企業に渡している。」

IMFの模範生だったアルゼンチンは数年前に国の財政が破たんしたが、
そのアルゼンチンで次のような「反グローバル運動」が起こっている。
数万の住民が近隣で市民集会を組織し、そのネットワークを市や全国レベルにまで広げている。
<略>
彼らは「市民議会」をつくり、政治家に透明性と説明責任を要求することについても議論している。
参加型予算(市民が予算の使い道を投票で決めるシステム)や政治家の任期について話し合いながら、地域の失業者に食べ物を提供する催しも開催する。
「数10年にわたりIMFに従順に従ってきて悲惨な目にあっているアルゼンチンは、資金の貸し付けを求めるべきではない。むしろ賠償金を要求すべきである。」
また、別の例として、メキシコの「サパティスタ民族解放軍(EZLN) 」も挙げている。
EZLNの指導者であるマルコスは、共産主義革命に失敗して逃げ込んだ先のチアパス州でインディオ先住民に出会い、先住民に対する差別、農民の生活向上、民主化の要求などを掲げて、支持者を増やしている。
マルコスは、自分のことを「革命を起こす気のない革命家」と称し、「あなたがマルコスである」と民衆に語っている。
彼らが意図するのは、武器を使った革命ではない。農民や先住民らが自立して生活していく社会だ。


しかし、「反グローバル運動」は今後、どのように進展していくのだろうか。著者は次のように案じている。
"デモは運動ではない"
運動を多くの人に示す「見せ物」が、新に運動を築き上げるという地味な作業と混同されつつあるということだ。
<略>
互いに協力し合うはずのNGOは、しばしば自分のグループの宣伝と資金集めのために競い合ってしまう。
今後の「反グローバル運動」がどう進展していくのか、わたしたち一人一人がどう考え、どう行動していくかにかかっていると言えるだろう。



ナオミ クライ『貧困と不正を生む資本主義を潰せ―企業によるグローバル化の悪を糾弾する人々の記録』

こんな良書が絶版し、Amazonマーケットプレースで古本が1万円以上で売られているのは、非常に残念だ。
著者が今回ソフトカバーでの出版を希望したのは、安く出版することにより、多くの若者に読んで欲しいと願ったからなのだが。。。
出版社には、ぜひ文庫版での再版をお願いしたい。