「チューター・スクール」

日本では聞きなれない言葉だ。アメリカの公立高校なのだが正規の公立とは違う高校を指す。1992年の創立当時には「荒廃した公立高校を避ける親たちの解決策」と新聞が取り上げる学校であったが、10年が経過した今、一般の公立高校より水準が低く、劣等生の集団にすぎなくなっている。入学してもおよそ半数が中退してしまうという。

アメリカでスポーツ選手を取材するノンフィクションライターである著者は、アメリカの恩師の頼みで臨時講師としてリノ市内のチューター・スクールに雇われて、『日本文化』を教えることになる。
著者が教壇に立つと、そこには日本の小学校の学級崩壊と見間違うほど、やる気のない生徒たちだった。
週2日、1日連続2クラスを受け持つが、第1限は教室で座学、第1限は公園で相撲。生徒たちはまるで小学生のように見える。

しかし、日本よりも学歴社会のアメリカではチューター・ハイスクールを卒業しても良い職に就けないことは彼らにも分かっている。そして、彼らのほとんどが所謂「崩壊家庭」で育っていた。自分の将来に希望を持てなくて当然であろう。

著者が本当に書きたかったのは、、アメリカの下層教育現場の悲惨さではなく、下層教育現場に係った自らの体験から「希望を失くした生徒たちにも大人たちの支援や励ましの言葉で立ち直ることができる」ということではないだろうか。

著者自身、三流高校、三流私大を卒業し、テレビ番組製作会社に就職するが、低賃金・長時間労働の職場だった。自分と同じ境遇の社会的弱者のドキュメンタリーを創りたかった著者は、週刊誌の契約社員を経て、アメリカでフリーのライターとなり、どん底から這い上がったフォアマンらスポーツ選手を取材して記事を書くようになる。
このような境遇だったからこそ、同じ境遇にあえぐチューター・スクールの生徒たちに希望を与えたかったのだろう。

有色人種蔑視の白人校長の決定で1期で契約を打ち切られることになった著者は、残りの授業で「日本文化」ではなく、著者がライターとして取材したフォアマンの言葉「セカンドチャンスは必ずやってくる」など、自分が本当に教えたかったことを教えることにする。

フォアマンのように『セカンドチャンス』をつかめる人は、宝くじに当たるほど幸運な人なのかもしれない。
しかし、少しの支援で立ち直る機会を与えられるのに、下層であえいでる人は日本にも多いのではないだろうか。
日本でも格差社会が社会問題化し多くの人が支援を必要としているが、行政などからの支援は少なく、NPOなどボランティアが支援しているのが実情だ。

他にも数多くの支援団体があるが、自分で本などで知った情報を以下にあげておく。

右矢印 東京でホームレスを支援するNPO 「自立生活サポートセンター もやい
右矢印 大阪あいりん地区で日雇い労働者、野宿生活者を支援する 「野宿者ネットワーク

右矢印 J-CAST記事 広がる若者世代の貧困 「一回転ぶとドン底まで行く」
右矢印 J-CAST記事 「ネットカフェ難民」転落 本当に若者の「責任」なのか


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