逃げだしたシマウマが、人間のあまりにもお粗末な対応で溺死してしまった事件は、まだ記憶に新しいニュースなので君も覚えているだろう。
愛知県瀬戸市の乗馬クラブから先月22日に脱走したシマウマは23日、岐阜県土岐市内で発見され、市内のゴルフ場に侵入、コース内を5時間以上逃げ回り、麻酔薬入りの吹き矢を受けて池に入水、麻酔が効いていたため溺れてしまい、心臓マッサージを施したものの死亡するという一部始終をテレビニュースで放送された。
悠然と歩くシマウマに関係者たちが取り囲むのであるが、ビクビクしていて一向に保護しようとしない。
そこで浅はかな関係者たちは、麻酔矢で動けなくしようという作戦に出たのだが、これが裏目に出て池で溺れ死んだという訳だ。
よくよく考えてみればゴルフ場にはあちらこちらに池があり、シマウマも恐怖心で必死になって逃げるのが分かっていながら麻酔矢を使用したらどうなるかくらいは予想できたはずだ。
せめて、池の方に逃げないように誘導しなければならないのに、シマウマの前に立ちはだかって方向を変えさせることもしなかったことから分かるように、明らかに誰一人として『保護』ではなく、『捕獲』の意識しかなかったことがうかがえる。
保護と捕獲では、天地の差ほど意味に違いがある
保護は生命を第一に守るのに対して、捕獲は捕まえること自体が主である。
人間に対しては保護という言葉を用いて、動物には捕獲。
WWF(世界自然保護基金)の活動に、ささやかではあるが援助をしている私にとっては毎回、捕獲という言葉を聞く度にとても違和感を感じるのだ。
”命に差別があっていいのだろうか?”
”命の重みに違いがあるのか?”
”どんな命であっても尊いのではないのか?”
今回のニュースは当然、多くの子供たちもきっと見たことであろう。
池に入水することを止めずに溺れてしまい心臓マッサージをしているシーンは、子供たちにはさぞショックだったに違いない。
そんな時、君が親であったら子供に何て説明したであろうか?
私なら、
”今回は、明らかに関係者のミスだ!
人であろうと動物であろうと命の尊さには差がない。
地球は人間のものというおごりを改めなければならない。
あの時、現場に一人でも勇気がある大人がいたら、こんな悲しい結末にはならなかった。
愛と勇気を心に秘めた大人になりなさい!”
と話す。
今こそ、動物にも保護という言葉を使うべきなのだ