私は猿之助、中車、両若旦那の

祖父…

段四朗師匠の弟子で

段三郎と云っていった

23.4才の頃

今の池袋の

サンシャインビルに成る前

巣鴨拘置所で

日本の戦犯の方が

服役していて

そこへ初代猿翁が

一門を率いて

戦犯の慰問に行きました。

出し物は

踊りと

元禄忠臣

【蔵赤垣源蔵徳利の別れ】です。

敵討ち物は

マッカーサーが許可しなかったけど

もう自由になっていたのですね。

芝居終演後

猿翁旦那始め

私達

舞台へ並び

幕を明け

旦那が挨拶。

客席から荒木大尉(戦犯) が

【今までの日本は終わりました。

これからの日本を建設して下さい】と

私達に挨拶されました。

此の時考えました。

海軍大将山本五十六…

あの方が戦後健在なら

戦犯として

此の中に居るんだなと思いました。


私か拘置所で印象に残った事…

旦那が役を上がり

風呂へ…

戦犯の方々が入る風呂へ

私か付いて行きました。

戦犯の人が

旦那、私を誘導して

鉄格子側へ来て

何か言うと

中から

戦犯の人が鍵を開けて入ると

がちゃっと閉まる音…

両脇は鉄格子の部屋。

其の前を通り風呂場へ。

かなり広かったです。

帰りも同じコースで楽屋へ。

あれから約60年過ぎたんですね。

今日も頑張りますニコニコグッド!