自分が遙か昔の高校生の頃、先生が言っていた。

これからの日本は

・子どもをもっと産んで成長する社会

・子どもを産まなくても成長すう社会

のどちらを歩むのか決めなければならない、と言っていた。

 

個人的にはこの国は後者を選んだのだとばかり思っていた。

だが、子どもの数が年間100万人を切った時や、まさに最近、急に子どもを増やす施策などについて話題が出るようになった。完全に何歩も出遅れているように思う。

 

着手が遅ければ遅いほど、回復や効果に時間がかかるはず。

すぐに回復しないということは、当面は老人だらけの社会で生活するということ。

 

大人に関して言えば、もう好きな土地で好きに暮らすということは出来ないと考えるべき。

もし、それを放棄した場合は福祉やインフラなどの恩恵は平等では無いという事。

山奥の一軒家に勝手に住むのは勝手だが、不便なのは公共のものも含めて全てであるということ。

年を再生し、コンパクトな街にする必要がある。

大規模な地震などの災害が起きた場合、必ずしも元の姿に戻す事が正解とは言えない。

日本全体に発展が見込めない以上、今居る人達がもう少し寄せ合って生活する必要がある。

衣食住のスタイルを制限することになるけど、超高齢化社会で移動のコンパクトさを追求した結果なら仕方が無い。動けなくなって老人ホームに閉じ込められるより、ぎりぎりまで住みやすい自宅のほうがよいに決まっている。コンパクトにすれば、病院やスーパーなどへの距離も考慮されるから、うまく設計出来れば歩く距離で何事も収まる設計が可能。それを超えた人数は別のコンパクトな居住地に住むしかない。

都市の中心部にはインフラとして必要な福祉や行政の拠点を配置し、その周りに住居を、その次に娯楽や食の環境を配置し、それ以降は若者や会社の場所とする。など。

 

子どもへの施策は政治の不作為というが、その点も一理あると思う。

だが、それを許してきたのは誰か?国民だ。同罪だと思う。

つまり、皆が子育ては大変で面倒で不要なものと考えてきた結果なのではないか。

出来ちゃった結婚での出産が出産の大半を占めるなか、子どもも親も幸せなのだろうか。

これから、大事なのはお金の支援だけではない。

子どもがいかにすばらしいもので宝であって、家族にとって大切なものであり、子どもがいることで人生が豊かになるという事を分かる必要がある。

大人にその前提が希薄になると、面倒、という言葉が出て来てしまう。

別に子育てしていなくたって面倒なことは沢山あるんだから、何も子育ての時ばかり面倒とか言わない方がよいのではないだろうか。

 

その見返りに充分なほどの愛を与えてくれる事を知らないんだね。

教育は大事。