☆創世記の新解釈☆  シュメール・ギリシャ神話による考察
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インドのホーリー祭と雅歌

ホーリー祭(Holi)とは、インドネパールヒンドゥー教 の春祭り。春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝う。

ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りであったが、その後クリシュナ 伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって、現在みられる形になった。ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール 地方の伝承でこの日に人家に押し入ってくる悪鬼ビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされる[1] 。そのため黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴すると言われている。色水は色粉を水に混ぜて作る。


このホーリー祭においては、性的色彩が濃い歌を祭りの参加者が歌う。それは、ホーリー祭の元来の性格である豊穣儀礼と関係していると考えられる

ところで、聖書の雅歌も、性的色彩を帯びた歌が中心である。聖書の雅歌も、元来は、豊穣儀礼の一部であったのであろう。

マハーバーラタと創世記の変容

古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」の研究者である前川輝光 亜細亜大学教授は、次のように述べている。(マハーバーラタの世界、5章より引用。一部変更)


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カースト制度の序列が固定化し、バラモンが最上位に君臨するようになる前の時代には、宗教的特権階級たるバラモンと、世俗的特権階級たるクシャトリヤとは熾烈な対抗関係にあった。仏教文献やジャイナ教文献には、それを反映してバラモンよりもクシャトリヤを上位に位置づけた記述が散見される。

「マハーバーラタ」の挿話の中にも、両者の対抗関係を如実に示すものが少なからず見られる。(ヴィシュバーミトラ物語やパラシュラーマ物語など)

「マハーバーラタ」は最初、クシャトリヤ(戦士貴族階級)の文化や理想像を伝えるべく語り始められたが、後にバラモンの手で大幅な修正追加が行われた。紀元前400年~紀元後400年の成立過程の間に、「マハーバーラタ」の性格は大きく変容してしまったのである。(しかし、それにも拘わらず、かつてのバラモン対クシャトリヤの対抗関係やクシャトリヤ優位を反映した名残りは随所に窺われる)

「マハーバーラタ」の登場人物の中で、このようなバラモン化の使命を体現しているのがクリシュナである。多くの研究者が指摘しているように、クリシュナの目的は、全クシャトリヤを滅亡させることであった。

クリシュナは、バラモンの至上権を認めない暴虐な現クシャトリヤ世代を一掃し、クシャトリヤを根絶やしにするために、ヴィシュヌ神の8番目の化身として登場したのである。(バラモンを敬う有徳なパーンダヴァ5王子だけは助けられた) つまり、クリシュナは、バラモンの権威を拡大するために行動したのである。クリシュナはバラモンの世界観に沿った役割を与えられたのである。

引用終わり


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さて、元々、クシャトリヤ(戦士貴族階級)の文化や理想像を伝えるための物語が、バラモン(祭司・神官階級)によって修正加筆され、クシャトリヤ(戦士貴族階級)は、パーンダヴァ5王子を除いて、クリシュナの無慈悲な奸計によって絶滅されて行く。

このような、クシャトリヤ(戦士貴族階級=世俗勢力)中心史観から、バラモン(祭司・神官階級=宗教勢力)中心史観への歴史的変容は、旧約聖書の創世記についても当て嵌まる。

3:22
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

この記述には、明らかに、神と人との対立関係(神の人間に対する冷酷さ)が表現されている。創世記の最初の部分は、このような、神と人との対立関係(神の人間に対する冷酷さ)が主題となって成立している。(=世俗的な考え方


しかし、後代になって祭司神官勢力(サドカイ派・宗教信仰勢力)が拡大すると、それを反映して創世記の「神と人との対立関係」という主題は巧妙に隠されてしまい(あやふやにされてしまい)、宗教信仰勢力にとって都合の良い箇所だけが強調されるようになったのであろう。(旧約全体が宗教勢力に乗っ取られた


しかし、それでも、「ヤコブの神との闘い」のエピソードは、削除されずに残っている。それは、ちょうど、「マハーバーラタ」で、バラモン階級編纂者が、クシャトリヤの美しい?文化や価値観を完全に払拭できなかったことと同じである。やはり、オリジナルな主題は、いくら隠そうとしても、完全に隠し通せるものではないのだろう。


なお、世俗的勢力と宗教的勢力の対立関係は、インドラとトヴァシュトリ、 エンリルとエンキ、の神話にも反映されている。

アプカルル(魔術的賢者)の重要性

以下は、「メソポタミアからの知的伝承」佐々木光俊著)の記述の要約。+私の考え。


「アダパ物語」の主人公アダパは、エア(エンキ)と深い関係を持ち、エア(エンキ)の息子と呼ばれることもある。

アダパ(adapa)という名前は、adapu(賢い、という形容詞)から派生していると考えられ、固有名詞でない可能性がある。

アダパ(adapa)は、アプカルル(apkallu=半神的賢者・魔術師)の筆頭であり、オアンネス(=Uan)と同一視できる。

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魚のアプカルル(英文献ではFish-Apkallu)★ By WIKI
メソポタミア の伝説の生き物。発掘された彫像によると、頭から背中にかけて魚をかぶったような姿をしている(身体の前部が人間、後部が魚、という姿)。
神話 のなかでは、アプカルルは古の賢者であり、人々に知恵を授けたとされている。彫像は守護精霊として7体セットで用いられた。
アプカルルは、ヘレニズム 時代のバビロン神官ベロッソス が著した『バビロニア誌 』にオアンネス(Oannes)として現れる。オアンネスはペルシア湾 から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明 を授けたといわれている。
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オアンネス(=Uan)は、「ビート・メ―セリ」という儀礼文書の中では、「天と地のプランを確立したアプカルル(apkallu)の筆頭として現れている。

エア(エンキ)神とマルドック神は、よく「神々の中のアプカルル」と表現される。

大洪水以前には、7名のアプカルルがいた。

① UーAnna 「天と地のプランを確立した

② UーAnne-dugga 「広い理解力を与えられた

③ Enmedugga 「良き運命が与えられた

④ Enmegalamma 「家で生まれた

⑤ Enmebulugga 草原で育った

⑥ An-Enlida 「エリドゥのエクソシスト除霊師)」

⑦ Utuabzu 「天に昇った

6番目のアプカルルである、An-Enlida 「エリドゥのエクソシスト除霊師)」に、アプカルルの本質的役割が顕れている。

即ち、アプカルルとは、除霊師・魔術師・呪術師としての賢者なのであった。 

アプカルル(apkallu=半神的賢者・魔術師)の筆頭であり、オアンネス(=Uan)と同一視できるアダパ(adapa)は、南風の翼をへし折るほどの呪力を持っていた。

この呪力は、エア(エンキ)神と共通する要素であり、南風の翼をへし折るとは、自然の秩序を破壊する程の創造的力を発揮することである。

だから、創造的力を代表するエア(エンキ)神と、自然の秩序力を代表するアヌ(エンリル)神は、対立する場合がある。

古代バビロニアでは、7名のアプカルルは、悪霊を除霊する力を持っていると信じられており、黄金の粉銀の粉を散布した粘土により、7体の魚型apkalluと、体の鳥型apkallu小像を造り、それを特定の場所に埋めたり、ベッドの脚に立てたりした。そうすることで、害悪を及ぼす悪霊を排除できると考えられたのである。

アッシリア王の周辺には、王個人や領土に生じる様々な変異を監視して、それに対処する専門的集団(魔術・呪術的賢者)がいた。バールー(肝臓占い師)・カルー(慰撫神官・歌手)・アーシプ(エクソシスト除霊師)・アスー(薬剤師)である。

これらの4つの専門的集団のうち、カルー(慰撫神官・おそらく去勢歌手?)・アーシプ(エクソシスト除霊師)・アスー(薬剤師)は、アプカルル(apkallu)の系統に連なる魔術・呪術的賢者と考えることができる。

アーシプ(エクソシスト除霊師)については、「エクソシスト便覧」と呼ばれる新アッシリア時代の文書が参考になる。この「エクソシスト便覧」には、アーシプ(エクソシスト除霊師)の仕事について、100近い文書目録が記載されている。

この「エクソシスト便覧」の中のSA・GIGAというタイトルの文書は、次のような内容を持つ。

病気の患者の元へ向かうアーシプが、途中で出会う動物により、その患者が快方に向かうか、反対に悪化するのかを占うことが出来る。たとえば、白い豚・黒い豚・白い牡牛・黒い牡牛などにより、患者の未来を予想する。

この様に、アプカルル(apkallu)の系統に連なる魔術・呪術的賢者であるアーシプの仕事は、呪術的な不合理なものであった。

ところで、1962年にLambertにより公表されたテキストには、古代メソポタミアの神話文学作品と、その著作者が、対応して書かれている。

その著作者は、ある文書の場合は、知恵の神エアに帰され、ある文書の場合は、アダパに帰されている。

そして、「エタナ物語」と「ギルガメシュ叙事詩」の著作者は、アプカルル(apkallu)に帰されている。と同時に、その著作者であるアプカルル(apkallu)は、「エクソシストmash-mash)」とされている。

以上の事柄から類推すれば、他のメソポタミアの神話文学作品(たとえばエヌマ・エリシュなど)も、・アーシプ(エクソシスト除霊師呪術師)的、アプカルル的文学作品として、理解されるべきであろう。

つまり、古代メソポタミアの神話文学作品は、まず第一に、エクソシスト的呪術魔術的意義目的)を持っていたのである。

 
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