北京に来て七年が過ぎたが、石川淳を北京で読むのはこれが初めてだ。

 ぼくは北京に来る前、江蘇省昆山市の淀山湖鎮というところに住んでいたときに石川淳全集を最終巻の第十三巻から逆に読み始め、第六巻まで読んだのだった。北京で読まなかったのは多少飽きてきていたせいだったのだろう。ところが新型コロナウイルス感染症のせいでこの二年半帰国できず、読む日本語の本がほとんど手元になくなり、そういえば石川淳全集でまだ読んでいない巻があったはずだと思い出して読んでみた次第だ。

 久しぶりに読んでみて、石川淳の世界はやはり独特で良いなと思った。気軽にリラックスして読めるのが良い。どの作品も最低限の描写があるだけで、あれこれとうるさい心理描写や風景描写がないのですらすらと読み進めることができる。小説というよりも分かりやすい紙芝居を観るような感じでストーリーがどんどん展開されていく。

 この巻には『前身』など七篇の短篇と中篇『紫苑物語』、長篇『白頭吟』が収められている。先に読んだ各短篇もそれぞれ面白いと思ったのだったが、『紫苑物語』と『白頭吟』を読むと長い分だけ印象が強く残る。特に『白頭吟』は面白かった。

 時代は大正。大学予科の学生の尾花晋一という代議士の息子は洋行してみたいと考えてはいるが、はっきりした目標があったり、そのために勉強したりしている男ではない。若い義母と肉体関係をもったり、非合法組織に少し関わったりし、親の金で旅行に行ったりもするが、何事にも積極的であるわけではない。恋人もできるのだが、その女に夢中になるわけでもない。将来何にでもなれるかもしれないが、今の彼は何者でもない。つまりは青春真っただ中の男の物語だ。

 青春物語だといえる小説だけど、青春物語によくある自分を中心に世界は回っているといったような思い入れがこの小説の描写、筆致にはなく、晋一のいろいろなちょっとした経験が淡々と展開されていくだけだ。それなのに、読み進んでいくうちに青春とはまさにこういうものだな、人生はこういうふうに進んでいくものだなと思わせられ、石川淳の文学的才能というものが並ではないことが実感させられる。

 石川淳をまた読みたくなってきた。全集の残り四巻もいつか読んでみたい。

 

『石川淳全集 第五巻

 筑摩書房 昭和43825日初版発行