この『万寿寺』は今回で7回読んだことになるはずだが、王小波がこの小説で何を書こうとしたのかいまだに分からない。別に作家の意図が分からなくても読んで自分なりに楽しめればそれはそれで良いようなものだが、楽しめたとも言えない。今回は新しい発見もほとんどなく、筋の展開が分かっているだけに退屈だった。

 ただ小説の始まる前の「序 ぼくの師伝」で王小波は査良錚と王道乾の翻訳文を現代中国語の最高の文章だと述べていて、ぼくは今回もそれに共感した。

 また小説の最終章の「第八章」はよくは分からないなりに王小波が言うところのいわゆる「詩意」が感じられて、がまんしてここまで読んできて良かったと思った。感じた「詩意」について書いてみたいとも思ったがうまく書けそうにもないのでやめておく。それが書けるようになればぼくの小波に対する理解ももう少しは深まることになるのだろう。

 ともかく、この小説は物語が始まる前の序と最後の章が読み応えがあったが、そう思ったのは何も今回が初めてのことではない。

 

『万寿寺』(王小波全集第一巻長篇小説)

 訳林出版社20129月第3次印刷