この『どちらでも』は40歳の男と35歳の女のあまりうまくいっていない夫婦二人だけが出てくる芝居。場所は「ありふれた温泉町のホテルの三階あたりの一室」。

 なぜ小島信夫がこういう芝居を書かなければならないのかが分からない。それが読み終わっての第一印象。同じころ書かれた彼の短篇小説集『ハッピネス』中の幾つかの作品に似ている。それらの作品も最近読み返したのだが、なぜこのように書かなければならないのかと思いながら読んだ。

 そうは思いつつも、もしこの芝居が舞台で演じられるのを観たら、適当にエロチックでもあり、あまり深刻にならず楽しめるのかもしれないとも思う。活字でストーリーを追うとどうしても深く考えすぎてしまう。

 半世紀前の学生時代に読んだときに、青い色鉛筆で傍線を引いたセリフがあった。

 《話しあうように椅子を向かい合わせにして腰をかける。

「そうだ。二人で一緒にゴルフを始めることにしたら何とかなるかもしれない。ここでこうして二人の間を立ち直らせようとして、ホテルの一室にいるというようなことは、本当はよくないことなのかもしれないよ」

 男、立ちあがってゴルフのドライバーを振るマネをする。

「私、あなたといっしょにゴルフ場に出ていっしょに歩きまわって、二人で競争するなんてことは真平よ。家に一緒にいるだけでも精一杯なのに」

 男、微笑をうかべる。女、立ちあがって鏡の前に立って姿をうつす。男、ドライバーを振るのをやめて、佇んでそれを眺める。》

この部分はちょっと『抱擁家族』の夫婦の会話、状況に似ており、ぼくは当時おそらくこの芝居に『抱擁家族』と同じものを観ようとしていたのだったのだろう。当時は今よりももっとこの芝居が分からず、『抱擁家族』にこじつけることで分かったことにして安心しようとしたのかもしれない。

しかしそれは間違った読み方だ。この芝居で描かれているのは『抱擁家族』以降の夫婦の問題だ。

 

『どちらでも』小島信夫

 河出書房新社 初版発行 昭和451120