この『変幻自在の人間』にはぼくが生まれて間もないころから、大学に入ったときくらいまでに書かれた文章が収録されている。画家論があり、演劇論があり、時事問題に関する文章もありで、多岐にわたっているが、いずれにも小説家、小島信夫の声があり、読んでいて楽しい。

 本の『あとがき』で小島信夫は次のように書いている。

 《時事問題について意見を述べたものが、古くなって読めないということがなければ幸いだ。不器用さのおかげで、執筆当時はパッとしない分だけ、あとになっても恥ずかしいということが少いということになれば、と虫のいいことを願っている。》

 一番新しいものでも半世紀以上も前に書かれたものなのに、ここに収められている文章で古さを感じさせるものは一篇たりともない。

 小島は「不器用さのおかげで」と謙遜しているが、そうではなく、彼が本物の文学者、小説家だったからだろう。

 『チェーホフのリズム――「想い出のチェーホフ」』という短文で小島はチェーホフの『妻への手紙』について、《あるとき私は、文章の極意はこういうものだ、と思ったことがある。相手のことを考え、自分のことを考え、その根本にいついかなるときに死や、異状事態が起るかもしれぬということを勘定に入れているような態度がそこにある。ニヒリズムというようないい方で片がつくような浅はかなものではなくて、いつの時代にも共通する人間の生きる態度の不変の確かさ、大人の態度といったものがそこにある。》とチェーホフの文章について書いているが、小島信夫の文章がちっとも古びていないのは彼自身の書く文章がチェーホフのような態度で書かれているからではないだろうか。

 

『変幻自在の人間』小島信夫

 冬樹社 昭和461130日 第一刷