莫言の小説は彼がノーベル賞をもらう前に、この『食草家族』と同じ出版社の同じシリーズの『白狗秋千架』(短篇小説集)と長篇小説『紅高粱家族』を読んだことがある。

 読んでからもう十数年たっており、詳しい内容はほとんど忘れてしまったが、短篇小説集の表題になっている『白狗秋千架』と『紅高粱家族』は映画にもなり、小説と前後して観ており、小説も映画も刺激の強い作品として印象に残っている。

 その印象もあって、書棚にあったこの『食草家族』を読んでみる気になったのだったが、これは難しい小説だった。一口に難しいと言っても、その難しさがどんな類いのものなのかを言わないと、何も言っていないのと同じで意味がないので少し説明しておく必要がある。

 この小説の難しさを手っとりばやく説明するにはこの小説の各章が「第一の夢 赤いイナゴ」「第二の夢 バラよバラ、香りが匂う」……「第六の夢 小馬が沼池を横切る」となっていることを言うのが良いだろう。つまりこの小説は夢の内容を描写するような形になっているのだ。

 夢が難しいのは一つ一つの夢の内容が難しいのではなく、その内容をつなぐ脈絡が理解できないから難しいのだ。山東省の高密に住む指の間に水かきのある家族の歴史――イナゴの大発生、姦通、美しい馬、暴力などなど、が前後の脈絡なく語られ、しかもその語り手が先祖の老人だと思っていると、孫や子どもになったり、「ぼく」になったりもするものだから、読んでいて頭が混乱し大変疲れてしまい、一日に一時間以上読むことができなかった。ぼくらが見る本当の夢もそうではないだろうか。夢はその脈絡のなさでその夢を見ているぼくらを疲れさせてしまうことがある。

 この小説をぼくは今回二度読んだ。一度読んであまりにもわからなかったので、もう一度読んでみたのだったが、二度読んでもわからなかった。それで結果的にぼくはこの二ヶ月、毎日夢を見ているような緊張と疲れを感じながら過ごしたのだった。

 

『食草家族』莫言著

 上海文芸出版社20056月第1