『仏像は語る』は仏師であり僧侶でもあった西村公朝が書いた仏像修理にまつわるエッセイを集めた本で、読み応えがある。写真や挿し絵もあって読んでいて飽きさせない。

 読んでいると胸がわくわくし面白いと感じるのは、それが仏像を修理・制作する人あるいは僧侶から見た仏像論、仏教論になっており、まるで自分が仏師あるいは僧侶になったような気分にさせられるからだろう。

この本はまたぼくのように仏像に興味を持ち始めたばかりの初心者に、仏像はどのように観たら良いのかということも教えてくれる。

 教えてくれると書いたが、学者や評論家のように仏像についてあれこれ学問的あるいは芸術的な観点から述べているのではなく、仏像の修理、制作を仕事にしてきた人が自らの体験、経験を語っているだけで衒いがなく、聞いていてちっとも疲れない。

 今度日本に帰ったら、筆者らが修理した三十三間堂の千手観音をぜひ観てみたい。

 以下は仏像を観る場合の基礎知識として忘れないようにしておきたいことをこの本から抜き書きしたものだ。

《もともと仏像の肉体的表現には、静かに呼吸している姿勢、つまり気息をはき出している姿勢が表されています。》

 《釈尊がまだ王子であった頃の華やかな服装が、菩薩のモデルです。そして釈尊は二十九歳で出家し、六年間苦行して、三十五歳で悟られました。この悟ったことを成道というのですが、その成道されたときの釈尊の姿、その後の説法しておられるときの姿が、如来のモデルとなっています。また釈尊は王子の頃、とても武芸に優れていたということから、明王の姿、つまり不動明王などの非常に勇ましい姿のモデルにもなっています。次に四天王とか仁王、十二神将などの天部ですが、これらは釈尊が王子であった頃の家来や侍女などがモデルになっています。》

 

『仏像は語る』西村公朝著

新潮文庫 平成九年六月二十五日 三刷