ドナルド・キーンの『思い出の作家たち』を四国の田舎へ行く列車で少しだけ読み、大阪へ帰ってくる列車の中でその大半を読んだ。
取り上げられている作家は谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房そして司馬遼太郎の五人。
五人いずれも多少は読んでいるが、それほど身近な小説家ではなく、新大阪の駅内の書店で買おうかどうかちょっと迷ったが、他に読みたい本も見当たらなかったので買い、新幹線に乗った。
買って良かった。ドナルド・キ―ンの本は初めて読んだが、筆者とこの五人の作家との交流の思い出話とその代表的な作品に対する鋭い批評の言葉にキ―ンという人の確かな眼が感じられた。そして、これらそれほど身近でない作家が身近になり、またいつか機会があれば彼らの作品を少し読んでみようかという気持ちにさせてくれた。
ところで、ぼくはこの本を読んで五人の作家のうちの誰に一番興味を持ったか。
《戦争が終わってから集め始めた美術品は、一財産と呼べるコレクションになっていく。小さな美術品――ロダンの彫刻した手、能面、あるいは抹茶茶碗――が、夜を徹して机に向かう彼(川端康成)をどれほど支えたかについても書いている。深い感性と情感に恵まれ、だが時に物事を明瞭に言わないこの男にとって、美術は、慰めであるばかりか代弁者ですらあった。》
このような文章を読むと、性懲りもなくまた川端康成を読んでみようかと思う。川端康成の作品は妙に難しくて、また気味も悪いのだが。
最後に、ぼくはこの本はドナルド・キーンが日本語で書いたものだと思って読んだのであったが、改めて表紙を見て、翻訳だということを知って驚いた。翻訳の臭みがまったくない。
『思い出の作家たち』ドナルド・キーン著 松宮史朗訳
新潮文庫・令和元年5月1日発行