↑ここに30年住んでいました。

 

昨日あたり下記文章がバズっておりました。

 

田舎者と貧乏人を初めて見た話 (hatelabo.jp)

 

 

これはよくわかります。

 

私が住んでいたのは新潟県上越市で国立大学はありますし、当初はデパートもありました。

 

郵便局もあります。スーパーもあります。

 

まあ生活はできます。

 

しかし、ここで外食したのは3回くらいです。

 

初めの頃、とても評判の高いフランス料理店に行きました。

 

1人1万くらい。

 

すべてがガーリックまみれでした。

 

近くのてんぷらやさんにも行きました。

 

「赤坂で修行しました」とのことでしたが、「我が家に習いに来なさい」と言いたかったです。

〇油を替えていない。

〇ネタは近所のスーパーの見切り品。

 

3目目は学生さんが招待してくれたイタリアン。

オードブル、メイン、コーヒーが出るのに3時間かかりました。

 

メイン料理はハウスの何かの素を使えばすぐできるようなものです。

 

まあ外食は必須ではないからいいです。

 

医療体制ができてなくて発熱した時に主人に高速を飛ばしてもらって150キロ先の新潟市の病院に行きました。

 

眼医者は1軒でどのような事情かわかりませんがコンタクトを入手するのに5時間かかりました。

 

主人が「肺がんでしょう」と言われた時はコネを使って築地のガンセンターに緊急受診しました。

 

昔の胃のレントゲンのバリウムのかけらが入っていただけでした。

 

診断してくれた医者は「これがわからなかったですか」と笑っておられました。

 

主人の抜歯は東京医科歯科で行いました。

 

上越市は豪雪ですが、そこはあまり気になりません。

 

出かけるところがなかったからだと思います。

 

なによりつらかったのは「主人以外話す人がいない」ことでした。

 

この30年がほとんど記憶にないです。

 

もともと田舎者なんですがねえ。

 

ましてや東京生まれの人は田舎暮らしは無理です。

 

結婚するときに職場の上司たちが

「この東京を捨てさせるほどの男か」と言いました。

 

これがすべてです。