今回の沖縄の旅で思ったことを

率直に書きます。


今回の旅はもちろん目一杯楽しかったけれど、同時に戦争を思う旅でもありました。


最終日空港へ向かう前に、ホテルのすぐ近くにあるさとうきび畑の歌碑へ寄りました。



歌詞が刻まれます

ざわわ、ざわわ、のあの歌が生まれた

さとうきび畑が広がる、沖縄の原風景が見られる地域です。


森山良子さんが歌う印象が強かったけれど、本来は沖縄の戦争を想う歌で、寺島尚彦さんという方が作ったそう。

恥ずかしながら何も知らなかったなぁ。


これまでは

歌詞の意味もよく知らなかったのですが

風が吹くたびにさとうきび畑がゆれて

ざわわとなるこの畑の下に眠る

戦死者の魂を想って作られた歌だそうで

あらためて歌詞を読むと

今はこんなに静かで美しい読谷村の

戦争当時の状況を想像してしまい

涙が出ました。

この美しい浜から、ある日突然米兵が上陸してきたなんて。


そして、今回私達が沖縄に入ったのは3月26日。

79年前に米軍が慶良間諸島に上陸したのと同じ日でした。ニュースでそのことを伝えており、さらに4/1には、わが家が宿泊した読谷村に米軍が上陸し沖縄戦が始まったとのこと。


ちょうど昨年次男坊が学芸会の劇で「シムクガマ」を演じたことで、ガマ(巨大な自然壕)の存在や、戦争が始まった時にそのガマで起こったことを知りました。


それが偶然にも今回滞在した読谷村での出来事であり、まさにその「シムクガマ」がホテルのすぐ近くに存在していること、また同時に隣のチビチリガマで起こったことも知り、なんとも胸が苦しく、つらい気持ちになりました。


次男坊の劇を見たときは、正直なところ

遠い昔の遠い沖縄で起きた話、のように思ってしまっていたのですが


実際に読谷村に滞在すると、この現代ですら穏やかで、美しくて、静かで幸せな時間が流れている場所なのに

おそらくもっと平和で静かで

もっと穏やかだった79年前に、ある日突如としてあの美しい浜から上陸してきた米軍に攻め込まれ、

家族を殺されまいと必死に逃げ惑った数千人の村人の恐怖を思うと

本当につらい気持ちになりました。


先に述べた、チビチリガマとシムクガマで起きたこと。

米軍が攻め込んできて、チビチリガマに逃げ込んだ住民140名のうち、83名が集団自決でガマの中で亡くなりました。米軍の凄惨な仕打ちを恐れてのことだそうです。

親が子をあやめる人たちもいたというその状況は、まさに地獄絵図だったと想像できます。


一方隣のシムクガマに逃げ込んだ住民約1000人は、その中に英語を話せるハワイ帰りの二人がいたお陰で米兵と対話し、間に立ち住民を説得し、全員が死なずにガマを出て生き延びることができたそうです。


明暗を分けた2つのガマが

今の自分のこんなに近くに存在する。

しかも遠い昔のことでも何でもない、

たった79年前の出来事。

私の父を始め、まだまだ元気で暮らしている年代の人たちが、子供だった頃の話。


昨年の次男坊の劇から始まり

今回の旅に続く一連のことは 

決して偶然の重なりではなく

意味があって自分に送られているメッセージだと感じました。


今の時代を「新しい戦前」と呼ぶ人もいるように、私達が置かれている「今」を

どう考えて、どう行動するべきか。


今一度沖縄をよく見て感じて

頭で考えて、

自分や子どもたちの未来のためにどう行動すべきなのかをよく考えなさいということなのではないのかな。


そしてこの文章を書いているまさに今、

テレビから森山良子さんの

「さとうきび畑」が流れてきた。

これはもう偶然でもなんでもないだろう。

送られ続けているメッセージを

きちんと受け止めて、きちんと考えよう。