2026年7月4日(土)。約2年ぶりに訪問した太山寺(52番札所/松山市)で仁王門を見上げた。 

 歩き遍路の途上、涙を拭いつつ到着したあの日と同じく、強めの雨が降る中での参拝となった。

 

  この稿を起こすべきか否か、少しだけ迷った。

 恐らく、これ以降の投稿は「屋上屋を架す」を地で行くことになるのだろう。

 だが、それでも構わない。結願から一定の歳月が流れ、ふと遍路を振り返るその時々の想いも、併せてここに残しておこうと思う。

 

 2024年8月1日。

 4か月に及んだ区切り打ちの歩き遍路を晴れて結願。その後の数か月間で将来への光明を見出した。

 その結末の先に、あえて付け加えるべき文章などあるのか。

 仮にあったとしても、きっとそれは「語らぬが花」なのだ。

 

 ブログのメインタイトルを当初「備忘録2024」としたのは、遍路で得た感動を語り、その世界観に浸るのは2024年限りに留めようと意図したが故のこと。まとめの稿で「筆を擱(お)く」という表現を用いたのがそうであったように。

 

 遍路の世界にハマる(強く心を惹かれる)のは、人生のごく一時期に留めるべき

 

 2024年4月に遍路を始めた時点でそう思っていた。この現実世界を堅実に生き抜いてゆくためには、それが健全な考えなのだと。だからこそ、「自分にとってはまさに今(2024年)がその時」と己を鼓舞しつつ歩いた。

 しかし、それ以前の10年間で3回のマイカー遍路をしていたという事実が、当時なぜか意識の外に追いやられていた。週5日フルタイム勤務の合間を縫っての区切り打ち。 遍路への、そしてお大師さまへの尽きせぬ想いを抱いて明石海峡大橋を何度往復しただろう。

 長年、心中に深く宿していた埋み火が、前職退職のタイミングで一気に激しい炎となり燃え盛ったのであり、決して一時的な熱情に背を押されたのではなかった。その埋み火が、今も仄かな温もりを失わずにいることを、素直に受け入れようと思う。

 

 

 冒頭で述べたように、先日、愛媛県の札所寺院を訪問した。

 前回遍路でこのエリアを巡ったときと同じく、早朝の松山市内で夜行バスを降りた。あの時と違うのは、白衣を着ず、杖も納経帳も持たない観光客としての参拝であるということ。JR松山駅前でレンタカーを借り、太山寺を目指した。

 見覚えのある県道沿いの景色が視界に入ると、目頭が熱くなった。

 同行二人で寄り添ってくださるお大師さまの存在を強く感じ、大泣きしながら歩いた道。あの日、太山寺に向けて一歩一歩の歩みを刻めることが本当に有難かった。

 今回も、降り続く雨に心を清められるような思いで、お参りさせてもらった。

  

 続いて仙遊寺(58番札所/今治市)へと向かう。「参拝+宿坊に宿泊+翌朝午前6時の勤行参座」をセットにしての訪問である点は、2年前と同じだ。京阪神エリアからだと、2日間の日程を確保すればゆっくりと宿泊滞在出来る立地である。

 その仙遊寺に、遍路の時は39日かけてたどり着いた。その時の朝勤行が忘れ難いひと時になったのは、ご住職の法話と、そこに至る旅路で積み重ねた種々の経験が絶妙な化学反応を起こしたからなのだと、今改めて思う。

 今回、ご住職のお姿を拝見した際にもやはり涙がこぼれた。2年前のことは覚えておられなかったけれど、仙遊寺での時間が自身の遍路のターニングポイントになったことをお話しし、お礼を申し上げた。

 

 相手が覚えておられなくても、お世話になった方と再会した暁には、躊躇なく気持ちをお伝えしよう。

 これは、遍路を通して得た自戒の一つ。最初の出逢いだけではなく、時を経た後に果たす再会もまた、神仏のお計らいなのだと信じている。

 ご住職はジョークも交えつつ気さくにお話しくださり、今回も温かく迎えてくださった。

 

・遍路を終えた者が気まぐれで札所寺院に舞い戻るのはいかがなものか。単に四国に逃げているだけでは?

 そのような見方もあるのかもしれない。

 けれど、人生において「心の逃げ場」が与えられているということは、実は幸せで有難いことなんだと思う。そして、何より「夜行バスに乗ってでも会いに行きたい」と思えるお坊さんが四国の札所にいてくださる……なんて心豊かで巡礼者冥利に尽きる人生なんだろう。

 今回の旅で訪問したのは上記2寺のみだが、大いなる心の癒しをいただいた。

 

 次の更新が数週間先になるのか、はたまた数か月後になるのか。今は何も決めていない。それこそ、毎回「この稿を以て筆を擱く」という思いを込めてパソコンに向かうのが一番自然な気がしている。

  遍路の終盤、「これが今生最後の参拝(結果的に後日の再訪が叶ったとしても、それはそれ。今日は今日の祈りに集中すべし)」という心持ちで札所を後にしていたように。 

 

 遍路として過ごした日々を想う中で、抑え難く込み上げてくるものがあった時。

 身近におわす神仏に手を合わせ、ふとした気付きがあった時。

 そうした折に虚心で筆を執り、この拙いブログにせっせと屋上屋を架けてみようと思う。