ヤフーブログが閉鎖されるため緊急避難しました移行の際、文字化けし読みずらい部分があります
きりん,ネッシー,鶴なぜか首の長い生物ばかり練習成り行きで、そうなり考えていたわけでは無いです即席の金魚も作ったし飴細工の種類ってほぼ無限だい∞飴細工 寿庵 ホームページ
大川に沿って天神橋から天満橋そして桜の宮付近までサイクリングで花見屋台は沢山出ていたのですが昼間だし自転車なので呑むのを必死で我慢(注)桜の見頃なのに天神橋~天満橋まで川沿いが工事中の為、通れませんでした写真には造幣局のマークも映し込んでいます飴細工 寿庵 ホームページ
花見をするには寒いです曇り最高気温16度キッチンカーでは飲食物が色々と販売されておりました6~7分咲き位あっそういえば名古屋城では飴細工の実演販売をなさっておられるみたいです飴細工 寿庵 ホームページ
鶴持ってるし作務衣来てるし頭巻してるし私にそっくり描かれた方私は嬉しいです飴細工 寿庵 ホームページ
その昔、竹本座で浄瑠璃桜丸は木綿頭巾に袖無し羽織姿の飴売りに扮したとのこと木綿頭巾とありますが私は知らずに頭巾ならぬ頭巻をしておりました約20年前、作務衣を着て頭巻をなさっておられる方は、ほぼ見かけませんでした当初は珍しがられ、なぜ(日本手ぬぐい)頭に巻いているのかと多くの子供から大人まで尋ねられた事が有りました気合が入るからと言っていましたが実は・・・会った時に直接お尋ね下さいこそこそと今だから言える事、話します(笑)何故か飴塾の方々・・・頭巻?飴細工 寿庵 ホームページ
昨日の飴塾はな~んか思い付きで作るそんな気合の入れないまったりのんびりな練習日こんなゆとりの日も良いもんです飴細工 寿庵 ホームページ まったりのんびり、な飴細工達
翼の作り方ざっと思い当たるだけでも12種類は有りました拘るともっと有ると思います奥が深いだから面白い飴細工 寿庵 ホームページ
先日の続き自転車で飴細工を街角販売していた2007年当日用意した飴の適正温度と外気温があまりにも違い道具箱から飴を取り出すとスグに固まってしまい、基本の飴を練る工程が不可能な状況でしたこの日はかなり遠くまで移動しており、街角販売は現地で1つ買ってもらえて成功とカウントしているので何としても作らねば私が始めた20年前は飴を白く練れて(だいたい1か月以上、練習では火傷ばかり)から、ようやくハサミを持つ工程に入れた順序が有り飴を白く練るのが基本形だったのです最近みかける飴の上から色粉で絵を描いたり模様を描くのは邪道とされておりました何故なら形は適当に作りお絵描きでごまかしが出来るからと、私は聞いた事が有ります(昔から目など最小限は描いておりました)そんな時代なので透明の飴細工は論外だったと思います話は戻りますがなにしろ1つでも作り買って貰えなければならず基本の飴を白く練る工程は諦め透明でキティちゃんやアンパンマンを作り並べると、夏場だし透明感が有り涼しげで良いと好評を得た飴細工でしたそんな経緯が有りその時の状況は今でも覚えている思い出が残る、飴細工の1つですこの龍も透明バージョンに変化を加えた飴細工です模様は最近見かける上から描かれる方法とは違います2009年にもブログで公開しておりました透明イルカ編飴細工 寿庵 ホームページ 以上の証拠から15年前より私は作っておりました
観光客に地元の方と大勢の人々でしたがゆっくり散策するとかすかに梅の香りが楽しめ平和が尊く思える歳になりました飴細工 寿庵 ホームページ
言い伝えでハサミを使用される前の飴細工を少し作って見ました色粉は、まだ赤のみだったと思われます単純素朴な物ほど拘ると面白い物で鶴は首先まで空気を入れるのが拘りおそらく昨今では注目を浴びることが無いかもしれませんが端的に特徴だけを捉え即座に作り上げる古来飴細工の原点も大事に残したいと思います飴細工 寿庵 ホームページ
天才・・・君で透明な飴細工を作るのは難しく1人しか作れる方がいないと放送しておりましたが(アレッ)私は18年前の2007年から透明バージョン普通に作ってます~なぜ透明な飴細工を私が作る様になったのか経緯は後日綴りたいと思いますこれは中に空気を入れるバージョンです飴細工 寿庵 ホームページ
ニャンニャンニャンで「猫の日」猫の練習をしましたがまーニャンとも色んな種類の猫ちゃんが居るもんですね時折気を紛らわし他のも作りました飴細工 寿庵 ホームページ
飴屋「飴勝」チンドン屋の歴史 1845年 弘化2年大阪法善寺の飴売り、飴勝は、竹製の鳴り物と売り声で人気者となり短い法被に大きな笠,脚袢(きゃはん)にわらじ拍子木をさげて「今日は松屋町の何々亭…」と寄席の客寄せ請負これがちんどん屋の元祖といわれている。何れも法善寺,千日前,竹本座,松屋町それほど距離は離れておりませウイキペディア さすがよく調べてらっしる萩原のチンドン祭りNHKアーカイブスちんどん通信社富山商工会議所画像ACワークス飴細工 寿庵 ホームページ
昔の写真を見ると顔位の大きさまで膨らませてますねおそらく子供たちの要求に応えるためにだんだんと大きくなっていったんだろうな~と考えられます飴の大きさにつきましては約300年後の今でも飴細工の形よりも大きい(飴の量が多い)のをと子供達に要求される事はしばしば有ります言い伝えでハサミを使用される前の飴細工を少し作って見ました単純素朴な物ほど拘ると面白い物で瓢箪の空気の入れ方には大きく分けて2通りの作り方が御座います真ん中できっちり区切っているのではなく空気が通るほど繋がっている作り方ともう1つは真ん中で区切って空気を入れる方法です飴細工 寿庵 ホームページ
絵の、おじさんに負けない様に合間を見て私も挑戦してみます(↓これよりもっと大きく)飴細工 寿庵 ホームページ
飴の歴史を調べる中、度々でてくる飴屋の歌、踊り、口上色々調べていると沢山あり1日がアッと言う間に過ぎますほんの一部しか紹介できませんがリンクさせてもらいました不思議に思ったのは関東近辺や東北方面では継がれていましたが関西方面で広がった又は後を継がれた方は、ほぼ見当たりませんでしたもっと探せば、いらっしゃるのかもしれませんが飴屋の笛 長唄童謡vol.9 杵屋佐喜-Saki Kineya 飴売り口上第47回東京都民俗芸能大会―道の芸・街角の芸― 飴売り芸流山加台の飴屋唄」に合わせて「飴屋踊り」千葉県の無形文化財NHK ほっとタイム音楽アラカルト 日本の民謡より。ヨカヨカ飴屋の唄 茨城県結城郡石下町(現:常総市) 唄:増山たか宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較第47回東京都民俗芸能大会―道の芸・街角の芸― 飴売り芸AKT民謡あきたの唄っこ 飴売り節秋田飴売り節(歌詞入り)冨岡久美子三味線と遊ぼう・唐人飴屋の唄菊名の飴屋踊り横須賀市指定重要無形民俗文化財「手踊り 飴やさん(飴屋踊り)」”来迎寺白山神社秋季大祭2022飴細工 寿庵 ホームページ
この日は、お二人今年2回目の練習日でしたが1回目は、いつもの様に写真の撮り忘れ時期的に節分なので鬼の練習のつもりでしたが馬の練習に何故か、なっていた写真加工時に気がつきましたお揃いの上着だったのかな~飴細工 寿庵 ホームページ 私は先日、少し早めに節分、厄除で我孫子観音へ行って来ましたあの蒸している所の厄除饅頭が美味しいんですよね今年も帰り買って帰りました
巳年の福あめ、飴細工で表現してみました黄色(金運)も好まれるので中心に福と記入紅白でめでたくハート(恋愛)も取り入れました飴細工 寿庵 ホームページ
大阪の竹本座跡今は訪日外国人が多く行きかう中誰しも興味を持たず、ただただ通り過ぎますこの辺り(道頓堀、千日前)はその昔、寄席等も多数存在しており後にご紹介予定の飴屋と寄席とチンドン屋の関係もご紹介したいと思います竹本義太夫、近松門左衛門活動や生活拠点は天王寺や難波、この界隈でした当たり前の事ですがその当時は電車や車も無い時代移動範囲は限られますものね資料引用(Wikipedia)飴細工 寿庵 ホームページ
飴細工の当初は鳥の形が主だったので飴の鳥と呼ばれたいた1700年辺りから天秤ふいご「たたら製鉄法」が確立し鉄の生産量が増え和鋏の量産とも関係し鋏を使用した飴細工もこの時期(1700~1730位)縁日などでも細工飴が 売られるようになり日本全国に広まったと考えられます。それ以前はハサミを使わず指だけで形を作る方法をなさる方もいたみたいです因みに今でも鶴や瓢箪はハサミ無しでも作る技法は一部ですが受け継がれておりますが現代の華やかな飴細工とは違いシンプルなのでリクエストはまず無く衰退しておりますこの時代の飴細工を調べ統合すると以下の様に思われます。練って白くした(晒さらし)飴が柔らかいうちに葦(ヨシ科、背の高いイネ科の植物)の先端に付け空気を吹きこんで膨らませながら細工をする{吹き飴}上方では、息で吹く前の品を売ったので〈吹かけ〉とも言ったそうです柔らかいうちに和鋏を用い干支の動物などを成形、食紅で着色したもの。推測ですが当初は赤色のみではなかったかと思います(尚1840年には着色に赤と青が使用されていたとおもわれます)1746年8月、 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)大阪の竹本座浄瑠璃で演じられた飴売りの口上で「さぁさぁ子供衆、買うたり買うたり、飴の鳥じゃ飴の鳥…」こちらが文献で紹介されている1番古い飴細工の資料となっております少し他も調べた所 以下の様にも書き込まれておりました木綿頭巾に袖無し羽織姿の飴売りに扮した桜丸は、飴売りの口上を述べます。「サアサア子供衆、買うたり買うたり。飴の鳥じゃ飴の鳥。それが嫌なら湿飴鑿切(のみきり)泣く子の口へは地黄煎玉。さてそのほか平野飴桂の里には桂飴。西宮には飴の金、その品々は行て買うたり。拙者が自慢で売り広める、桜飴を買わっしゃい、桜飴、桜飴」飴細工の発祥時期は江戸時代中期と推測されますが発祥地は確かな裏付け証明が無くわかっていないのが2025年1月現状です飴細工 寿庵 ホームページ引用あめ屋になるまで日記日本伝統飴細工協会