ある方のブログを読んでコメントさせて頂きましたが、動悸がして気分が悪くなってそのまま寝てしまいました。
その方の子供時代の経験と私の過去のトラウマが重なったからでした。
私は高校の頃まで概ね大人しく内向的でした。
内面に抑圧された激情の様なものはありましたが、表には出しませんでした。
私が小学校4年だったと思うのですが、給食準備中でした。
配膳班では無かったので、席で待っていた時に、性悪の同級生(男)が、ネチネチからかって来たのです。
最初は苦笑いで流していましたが、何回目からか、からかいがエスカレートしてとうとう私は爆発してしまいました。![]()
私は一瞬で相手の頭を左手で抱え込み、ヘッドロックして右手の拳で、渾身の力を込めて何度も殴り続けたのです。周りは私を注目して固まっていました。
激情に駆られて恐ろしい形相で相手の頭を殴り続ける私は、もう一つの、冷淡に自分と自分の周囲を観察している「意識体」を感じていました。
だから、今でもその光景の結末まで鮮明に焼きついています。
正直、私は相手を徹底的にぶちのめし、すっきりしたのですが、それでは終わらず、
相手は机に顔を伏せ、頭を抱え込み、ずっと泣きつづけていました。給食は食べず、担任の先生が給食時は教壇で食べるのですが、不安な顔して「○○君はどうしたの。」と言います。
一番前の席だった私は憮然として座って居るだけですが、少しだけ横や後ろを見て、クラスの人たちの顔が見えました。
クラス全員、顔が恐怖で引きつっていて、何も言いません。(((゜д゜;)))
私は先の事を考え、不安になりました。
翌日から三日間、私が殴りまくった相手は休みました。
ここで恐怖を感じました。
「奴が死んだらどうしよう。」「親に迷惑が掛かる。自分のせいで親が責められる。」
時代はまだ子供の世界に親が過干渉しない空気を持っていましたから、問題にはされず、三日後には相手はケロッとして出てきて、事無きを得ましたが、今の時代なら、私の親が責められ、担任も私を悪者にして、私は今頃ヤクザにでもなっていたかも知れません。
親がもっと干渉すべきというのも、考え物です。
昔は子供は子供の世界があり、そこからはみ出て世に迷惑を掛けない限り、子供同士の問題は子供で解決していました。
それこそが自立の第一歩なのであり、殴られて家に帰って親に泣きついたら「殴り返せ」と言う親はたくさん居たと思います。
それで仲良くなった例も、実際私のクラスで有りました。基本は子供が解決したのです。
今は、特に母親が過保護・過干渉に過ぎます。
暴力の抑圧が、より陰湿で掴みどころの無い虐めに繋がって居るのです。
昔は形がはっきりしていて、簡単に力で解決したものです。それが間違いとは思いません。
現在の息苦しい世界は、戦後女性や女性に媚びる男達が作り上げたものです。
しかし、相反する繊細さを持っていた私は、人を殴った結果を恐れ、より「反暴力」になりましたが、
それで一層私自身を苦しめる事になりました。
これはある人に過去言われた言葉です。
「相手が絶対に悪いと感じるなら、鉄パイプで殴り殺せ。・・・・でも、その社会的責任は自分で負う覚悟はしろよ。」
戦争に於ける覚悟にも通じる物ですが、その覚悟が本気で出来たなら、それが自分達にとっては「正しい」事なのです。抑圧は悪です。
我慢に我慢を重ねて、尚相手がネチネチ攻めて来るなら、全てを失っても戦うべきというのが今の私の答えです。後の事なんて結果論に過ぎない。
所謂悟った人・抽象度が高い人とも言いますが、次元のはるか高い位置から人間の活動を見た場合、善悪の概念は異なります。
イラクの故・フセイン大統領は、高い位置から見れば真の悪人では無い。
あの時、あの時点であの場所に必要な人材でした。
それが心から理解出来る人は意識レベルが高いと思います。
私は某所に住んで居た時、バイクで走っていて、信号待ちで、前の車の人相の悪いオッサンがこっちに何か絡んで罵倒してきたことが有りました。
助手席も、ヤンキー兄さんが乗ってまして、車もチンピラ系でしたから、ヤクザ者だったに違いありません。私はジェット式ヘルメットでしたので、シールドを上げて顔を見せ、相手を睨み続け、オッサンが降車して私に向かってきたらバイクで体当たりする覚悟を決めました。
内心「事件になって会社首になったら終わりだな・・」と不安に感じましたが、それでも場合によっては堅気に見えないこやつ等を殺す覚悟をしました。
すると、助手席の男が、オッサンに何か話し、オッサンはそのまま車を発進させ高速で逃げてしまったのです。![]()
あれは何だったのか。
10年以上前、大阪に所要で行った時。
帰りの高速バスに乗る前の時間つぶしに、近くのローソンに行った時でした。
私の後で入ってきたヤンキーカップルの男が、私の真横に来て「ガンたれて」来たのです。
顔を左側から私の顔に近づけて来て、私は当時は空手道場に通ってましたし、相手に弱みを見せるとつけ込まれるので、真横に顔を向け右手でいつでも正拳を喰らわせる構えで睨み返してやりましたら、相手は目を逸らし、そのまま黙って店から逃げてしまったのです。
何だあの糞ヤンキーが!
追いかけて女共々ぶちのめして半殺しにしてやろうとしましたが、店内の防犯カメラが目に入り、
「会社員、少年に暴行」という記事が翌日の新聞に出る!と頭に浮かんで追いかけるのを止めましたが、それから怒りのエネルギーが噴出するのを抑えて帰宅するまでが精神的に地獄でした。
一体あれはなんだったのか。
私が睨んだら逃げてしまうという出来事はそれ以外にもありました。
自分に正しい事と、社会通念上の善悪は違う。
そして、自分自身を生きる事は、見せ掛けの友人を失い孤独になり、それまで得たもの全て投げ出す覚悟が出来た時可能なのであり、それは自分以外に見つけられない道。
小学校の頃に味わった暴力を行使した結果感じた恐怖は、全てを失う事、大切な両親を苦しめる事でした。
しかし、それで本来の自分抑圧し続けても、本来の自分を気付かせるための出来事は起きつづける。
スピリチュアルの世界をさ迷った人ならそれを聞いたことがあるはずです。
私を今一歩、押しとどめていたのは、両親への想いだけでしたが、もう私は自分を抑圧はしないでしょう。