最近

(ゴールデンウィーク後半ね)


珍しく


自分とは違う価値観を目の当たりにして

一瞬怒って

ブログの勢いがついてしまったんだけど








それまでは

これでもかと言うくらい

「めちゃくちゃ機嫌良しニコニコ」に

傾いていて


大げさに言うなら

自分というものが明確にならないまま

過ごしているという


ぬるま湯状態(極論だけど)

(ある角度から見ると)

でしたが

(幸せな時間なんだけど照れ)



一瞬の怒りからの思考は








サウナからの

水風呂!

整いました〜


みたいな


気分爽快な心地よい感じとなりました。

(振り返ってみると💦)

(その時、その瞬間はそれどころじゃないけど)



快適な

ぬるま湯に浸かっていたら

熱いも、冷たいも

わからなくなり


温度の存在すら

わからなくなるのです。




暑いがあるから

涼しいが心地よい。







違う価値観があるから


自分らしいって何だろうと

自分に出会うことが出来るのです。



「自分らしい」が見つかると

言葉が降ってきて

文章が生まれて

面白い!



つまり

「自分ではないもの」は

大事。



「自分ではないもの」があるから

自分が明確になる。



腹が立つほど

自分と違うものに出会ったら


それは、とっても自分が大事にしていることが

見えてきたあかし。



ありがたいことです。




さて💦


怒ってしまって

その相手は

どう

思ったのだろう。


気にはなる。




だけど



他者の気持ちは

自己には

わからない。


永遠に。



想像はできるけど

それは、妄想に過ぎないからね。



さらに

自分の気持ちだって

瞬間瞬間変わるのに

他者の気持ちが

ずっと変わらない保証もない。



他者の気持ちについて

不安になるのは

妄想に対して不安になるようなもの。




そして

他者にとっての自分は

他者にとっての大勢の他者の中の一人


あまり、気にしてないかもしれない。

(これも、妄想)



あなたにとっての私は

あなたの人生の登場人物でしかないのです。




問題は

現実として

何かしら物事が起こったら


そのことに対して誠実な気持ちで

対処することだと思う。



なるべく誠実に発信することだと思う。



発信するものが

言葉なら

言葉がとても誤解を生じやすいからこそ

せめて誠実でありたい。



それを

どう受けとめるかは

相手に委ねるしかない。




相手に

こう受けとめてねと

いちいち言わないよね。




今日も私は

自分に正直に生きるしかないと考えています。



今日もメガダンスでした♪


妄想ではなく

現実が現実として

私を幸せにしてくれる時間!爆笑





正直に誠実に

楽しみました〜照れ