13の月の暦
では今日は
律動の月の6日
つまり
6月6日

サイ時間単位では

今日までの3日間は
太陽の紋章が
黄色い人ではありませんか!



という訳で

今日も
自由について考察するJT高木です♪





シュタイナー思想とヌーソロジーの

636ページあたり

シュタイナーは
われわれが神々と呼んできた
高次存在になればなるほど

自由は無く
ただ、宇宙の根源叡智に従うだけだというのです。

選択の余地無し!


とあることを
下記の記事に書いた。






それでは

高次存在は
選択の余地無しならば


つまんないのか?






どうやら

そうでは
ないらしい。


それは、宇宙の根源叡智にしたがうということにおける

神的至福があるというのだ。


われわれ人間には
想像できないものらしい。











どんなことにも流れがあるのだろうな。
どんな存在も
私にとって意味があることで
感謝すべきもの。



それを



様々な場面で感じて
うきうき楽しい気持ちは
神的至福に近いのかもしれない。



私の職場に
たまたま訪れた
かつて仲良く活動を共にした
友人が
笑顔の会話の途中で
「最悪ここで、私も働こうかと思ったことがあるよ。」と言った。

最悪ではなく
わたしには
最高の職場なんだけどな〜と思ったが


それは
時給で働くパートに対する
自然な感覚かもしれないね。

「いつでも、待ってるよ〜」と
答えた。






春の職場での先輩もたまたま
私の今の職場を訪れた。

春の職場はここより時給は200円高くて
永田町との行き来もあり、行政の委託もあり、一人で
その先輩は行政に出向くこともある。

お客様との
ありがたいやりとりを
元気にやってるよと
話すと
「どんな仕事にも やりがいがあるもんだね。」
と、先輩は言った。





なかなか
今の職場での

神的至福のような
私の感覚は
伝わりにくいようだ。


その感覚は
金銭至上主義のカケラが
感覚として残っていたらたどり着けないなと思うし

偽りの権力を信じる破片を
どこか、自分の中に持っていたら
たどり着けないのだろうと思う。





その二人は
私が感じ取った意味で
言葉を発したのではないかも
しれない。

それは、確実にわかるということではない。

しかし、わたしが
そう感じたということは

それについて
わたしが検討する余地があるということであると思う。


私が感じ取ったということは
相手の問題でなく
私への私の問いではないかと思う。




だれが、どんな風に思っても
自分の生き方
考え方
自分の人生を大事にする
幸せに向かうことを貫くことができるのかという



他者が
問いという姿で現れたと思ったら
良いのかも
と思った。









今日起こる
全てのことを
自分の流れとして
委ねたときに

湧き上がる
うきうきした気持ち。


今日
自分は
何をしたくなるのだろう。


自分が何をするのか
必ず当たる宝くじを

瞬間瞬間ひいている


そんな感じだ。



何よりも
宝物のような時間を
どう過ごすか

そんな自由に感謝です。






愛する人を

ゆっくりと
大切に思う時間が

とても幸せだな。