リーダーシップとは | JTT海外展開のブログ

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JTTは鉄鋼製品や機械を輸出する商社です。また海外進出する企業を支援する事業も行っています。社長の相田和宏は25年以上にわたり、中国、ベトナム、韓国、インド、ミャンマー等の企業と人と関わってきました。その異文化交流のエピソードや苦労話や最新情報をお伝えします。

私の大学の指導教授は寺本義也先生。大学院も同じである。大学の卒論は「創業者的リーダーシップ」であった。大学院の修士論文は「組織革新のマネジメント」である。


大学のゼミでは、毎週発表があり、様々な文献を読んでいった。でも学生であるため、難しい原著は読めない。経営関係の本も理論的なものより、読みやすいビジネスモノが中心であった。私は大学1年のころから日経新聞を読み、2年では日経ビジネス、日経ベンチャーを購読していた。若い頃に読んでいるので、今でのたくさんのケーススタディが潜在意識に記憶されている。


大学院では、内容の簡単なものではなく、米国やドイツの原著ばかりを読んだ。経営も基礎が重要だからである。訳本は読みにくいので、時にはオリジナルな外国書を読んだ。

学部生の時は、経験も知識も、理解力も浅いので、「How toモノ」に流れるのは仕方がないことである。


卒論は、リーダーシップ論のケースとして、セコム会長だった飯田亮氏を取り上げ、彼がセコムを一から立ち上げ、一部上場でアジア最大(中国除く)の警備会社にしていくまでのリーダーシップを分析していった。


彼の実家は、「岡永」という老舗の酒問屋。彼の父親の教育と、岡永で若い時に下積みを経験した事が、セコムの創業に大きな影響を与えている。飯田氏の場合は、リーダーとしての教育の下地が家庭にあったのだ。


四男の亮氏他に兄たちも、天狗創業者、OKストアー創業者がいる。飯田家は、事業家一族である。岡永もいまも健在である。育った環境が彼をリーダーにしたのである。


私は経営者として、創業して15年にもなるが、いまでも真のリーダーシップとは何かと、考え続けている。

理由は、社員の使い方も、組織の動かし方もまったくダメだからである。


政治家や戦時の将軍、王侯貴族の研究もしたが、日本は欧州のような形の英雄は存在しない。

農耕社会かつ島国の影響で、調整型のリーダーが多く、企業経営者でも世界のリーダーになれる人材は少ない。


企業経営者としては、ソニーの故盛田昭夫氏も酒造メーカー「盛田」の御曹司であり、家庭教育がベースで、リーダーになった。飯田氏と同じ環境であるが、日本は戦後は本田総一郎氏や盛田氏、京セラの稲盛氏等、技術系の経営者は注目を浴びた。だが飯田亮氏のような文系のリーダーはあまり注目されていない。農耕社会の中でも職人は別格の存在であるのだ。


リーダーシップ論は、個人の資質という要因から分析することはできない。生まれた才能でリーダーになったでは、理論でも何でもなく、単なる英雄論になっていまう。


リーダーは、教育や会社文化、組織のシステムの中から醸成しないとならないが、日本社会では難しい。

日本にはフランスのようなエリート教育が、歴史と文化の中に根付いている訳ではない。むしろ異分子や出る杭が打たれるシステム、同質化させる教育を続けている。これではよい労働者は出来ても、指導者は育成出来ない。


今日の日経新聞に「リーダーシップ育成のヒント」という記事があり、多くの英国首相を出した「イートン校」を紹介している。

記事の抜粋を記すと、この高校の教育目的は、先頭に立って道を切り開く人材を育てること。

教育方針は、独立心を持ち自分で判断する事、良きチームプレーヤーであること。意見が異なる相手にも敬意をはらうこと、という。

先頭に立って道を切り開くためには、社会のあり方や人生について深く思考を巡らせることが欠かせない。「組織は何のために存在するのか」イートン校はこうした根源的な意味を問い続ける中にこそ、リーダーシップ醸成の核心があることを示唆している。


英国やフランスには、指導者を生み出す文化とシステム、教育がある。日本は江戸時代の身分社会を是正するために、明治維新がおきたが、戦後に平等社会に戻ってしまった。

平均化された人材の中からは、指導者は出てこない。今の豊かな社会からは、田中角栄は絶対に出てこない。


英雄待望論は日本には不要だが、指導者を作り、使命感に燃える人材を皆で支える文化とシステムは作っていかないと国が滅びてしまう。

リーダーの足を引っ張るだけでは、組織は永遠に燃え上がらない。