メルカバは、イスラエルが開発した第3および第3.5世代主力戦車のシリーズである。
イスラエル国防軍で運用され、イスラエルの特殊な事情を色濃く反映した設計となっている。
メルカバの名称は、ヘブライ語で騎馬戦車(Chariot)を意味する語であり、『旧約聖書』の『エゼキエル書』に登場する「神の戦車」を意味するメルカバーに由来する。
1960年代、新型戦車を必要としていたイスラエルに対し、イギリスはチーフテンを元にした主力戦車の共同開発を申し出、1963年に契約が結ばれた。
しかし、1967年の第三次中東戦争を起因とするアラブ諸国からの圧力と、それに伴うイギリスの対中東戦略の見直しにより、この契約はキャンセルされた。
1973年の第四次中東戦争の際には、アメリカや西ドイツで余剰化していた中古のM48パットン(マガフ)や、イギリスから新型戦車開発の見返りとして購入していた中古のセンチュリオン(ショット)を改修して運用していたが、エジプト軍、シリア軍の奇襲攻撃により、イスラエル軍は緒戦で大きな損害を出した。
この戦争において、イスラエルのような小国は、戦闘において過度の死傷者を出すことに耐えられない、という教訓を得た。
これらの経緯を踏まえ、イスラエルは1970年に独自の主力戦車を開発することを決定する。イスラエル・タル将軍が率いる開発チームは、イスラエルの戦場の独自性とこれまでの教訓に基づき、乗員の保護、生存性を重視した戦車の設計を行った。
こうしてイスラエル国産戦車「メルカバ」の開発は、イスラエル政府により1977年5月13日に承認された。
メルカバの開発には、建国以来繰り返された対アラブ戦争における膨大な戦車戦のデータと、多くの戦車、軍用車両の改良と再生で培ったノウハウやインフラが活用されている。
特にセンチュリオン(ショット)の改良における実績は大きく、最初のプロトタイプはセンチュリオンを改造して製作され、ホルストマンサスペンションの採用など影響を受けた部分も大きい。
過去の戦訓から、メルカバは乗員の生存性を第一に設計されている。
その思想が端的に現れているのはエンジンの搭載位置である。
各国のほとんどの戦車がエンジンを後部に配置しているのに対し、メルカバではエンジンが前部に配置されており、被弾時に走行不能になる可能性が上がる代わりに、エンジンへの被弾が遮蔽効果となり、結果として装甲の一部として機能する事で防御力の向上を図っている。
他に燃料タンクや各種装備など車内のあらゆる物が乗員と弾薬に対する防護として働くよう配置されている。
世界で最も重装甲な戦車の一つと考えられており、特に地雷や成形炸薬弾に対して高い防御力を持つ。車体側面にはセンチュリオンと同様にサイドスカートが標準装備され、中空装甲として成形炸薬弾に対する防御力を高めている。
これは、1973年の第四次中東戦争で、サイドスカートを持たないM48パットン(マガフ)がエジプト軍のAT-3サガー対戦車ミサイルにより大きな被害を出した事を教訓としたものである。
車両底部は1枚の鋼鉄板をV字に曲げた装甲を使い、さらに内部に一枚の装甲が配置された2重底(V字型車体)になっており、地雷への耐久性を高めている。
2000年代頃には、ベリーアーマーと呼ばれる車体底部を覆う増加装甲板が追加装備され、地雷への防御が更に強化された。
Mk 3以降は交換・改良の容易な外装式のモジュール装甲を採用している。
砲塔バスルにはRPGなどの携帯対戦車兵器への対策として、先端に重りをつけた鎖を並べて吊り下げる「チェーンカーテン」を装備している。
また、車体後尾には、昇降用ドアおよび戦闘室を結ぶトンネルが設けられており、車両が行動不能になった場合、乗員は後部ドアから脱出することができる。
後部ドアは戦場での砲弾や物資の搭載口に使用されるほか、戦闘で孤立した歩兵の救出にも使われた実績がある。
エンジンは、同国でマガフ(M48パットンやM60パットン系列の改良型)やショット(センチュリオンの改良型)などに多用されているコンチネンタル AVDS-1790系ディーゼルエンジンを採用。
強固な装甲による車体重量に対してエンジン出力が不足気味だが、適切なスプリング式サスペンションの装備によって不整地走破能力や乗員の乗り心地を向上させる事で、パワーで遥かに勝るアメリカのM1エイブラムスと同等の機動性を持つとされる。
このサスペンションは、一般的なトーションバー方式に比べ破損時の交換も容易で、装甲の一部としても機能する利点もある。
履帯はシングルピン型の全金属製で、転輪は当初はゴムタイヤ付きだったが、Mk 3改良型では全金属製転輪が採用された。
その後、Mk 4の初期型採用時には、同時に新型のゴム付き転輪が採用されるなどしていたが、その後の実運用ではMk 2、Mk 3、Mk 4のいずれのタイプでも、ゴムタイヤ付き転輪、全金属製転輪が同時に混用されている例が多い。
エンジンの前方配置に加え、操縦席と戦闘室が隔離され、戦闘室床面を砲塔と連動旋回する形態とした結果、車内後部にはかなり広い室内スペースが確保され、乗員のストレス軽減や相互連絡の円滑化、砲弾などの積載能力を高めている。
この広い室内は同時に、兵員の輸送や救護、救護品の輸送を容易にしている。
車内には計240リットルの飲料水タンクが設けられており、うち60リットル分は後部ドアの上部パネル内に収められている。
最新のMk 4に至るまで自動装填装置は搭載されておらず、乗員は4人である。
人的資源の保護を最重視する設計思想と矛盾するように思えるが、これはタル将軍らの「戦車が戦場で生き残るには最低4人の乗員が必要」という思想を反映したためである。
また、イスラエル軍では、生存性を高めるため、戦車長が直接目視で周囲を視察することが重要とされており、メルカバ戦車の車長用キューポラは、ハッチ全体を少し浮かした状態にして、戦車長の頭部を保護しながら周囲を視察できる構造となっている。
兵装面の特徴としては、Mk 1/Mk 2では戦車砲にマガフやショットと同じL7系105mm戦車砲を採用し、砲身冷却用の放熱材(サーマルジャケット)を巻きつける事で、更に射撃精度を高めている。
この改良も、ショットやマガフにフィードバックされている。
1982年の「ガリラヤの平和作戦」においては国産の新型APFSDSのおかげもあってシリアのT-72をほぼ一方的に撃破する戦果を挙げたため、ソビエト連邦製のT-54/55、T-62、T-72を撃破するのに十分な威力を有する105mm砲に止めて戦車に積める砲弾の数を増やす戦略をとっていたが、Mk 3からはラインメタル120mmL44を参考に新規開発した120mm滑腔砲を採用している。
車載機関銃としてFN MAG 7.62mm 機関銃を搭載しているが、後にM2 12.7mm重機関銃を戦車砲上部に露出する形で追加している。
これは、非装甲・軽装甲目標への攻撃手段のほか、訓練時に戦車砲の代わりとして利用される。
さらに、車長用キューポラと装填手用ハッチにも1挺ずつ、合計2挺(Mk 4では装填手用ハッチが塞がれたため1挺のみ)のFN MAG 7.62mm 機関銃を搭載し、砲塔右側面外部(Mk 2以降は砲塔に内蔵式)に60mm迫撃砲1門を装備し、車長用キューポラと装填手ハッチの近くに乗員用の小火器(UZI サブマシンガン、ガリルアサルトライフル、近年ではM4カービンなど)を装着するラックが用意されている、など、同時代の他の戦車と比較して近距離における対人戦闘能力の向上に力が入れられている。
なお、ショットやマガフにも同様の副兵装とする改修が行われている。
チーフテンを元にした開発がキャンセルされた時のような外国の政治的影響を避けるため、メルカバは部品・技術を極力海外に依存しない開発方針をとっており、Mk 1の時点で自給率はコスト比でエンジン・変速機・圧延装甲などを除く70%ほどとなっている(これは、それまで戦車生産の経験の無かった国としては驚異的な数字である)。
車体はテル・ハショメールの戦車工場で生産され、イスラエルの国防産業に携わるいくつかのメーカー(イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ、エルビット・システムズ、ソルタム・システムズなど)が部品生産を分担している。
なお、テル・ハショメールには、イスラエル屈指の機甲部隊の基地や、軍民共用病院などもある。
イスラエルは武器輸出も盛んだが、メルカバは自国軍への配備を最優先させており、海外輸出は行われていない。
ただし、2014年には相手こそ非公開ながら輸出が開始されたという情報がある。