水陸両用作戦 | 戦車兵のブログ

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水陸両用作戦は、上陸を伴う攻勢作戦であり、陸地に対し、海などの水域を越えて戦力投射を行うことを目的とする。

 

上陸作戦と同義に用いられることも多いが、水陸両用作戦のほうが上陸作戦よりも広範囲な意味を含む。

 

なおAmphibiousはギリシア語に由来し、水陸両生の動物(両生類: Amphibia)、植物を指す語である。

 

 

敵領土への上陸戦は、陸戦に海軍を用いる最良の事例であり、その歴史は海戦と同じくらい古いとされる。

 

しかし近代においては、沿岸砲の高威力化と機雷や水雷艇など新兵器の登場・発達で沿岸防備が強化されていったことから、19世紀末までには、上陸作戦は従来ほど効果的に実施できなくなっていた。

 

アントワーヌ=アンリ・ジョミニ

 

 

このような情勢を受けて、アントワーヌ=アンリ・ジョミニも上陸作戦に否定的であったように、各国陸軍ともに水陸両用作戦はあまり重視しなかった。

 

この様相に大きな一石を投じたのが、第一次世界大戦中の1915年に生起したガリポリの戦いであった。

 

 

これは近代戦初の敵前上陸作戦であるとともに、その困難さを示す戦例ともなった。

 

これを踏まえて、戦間期に研究開発を活発化させたのが大日本帝国陸軍とアメリカ海兵隊であった。

 

日本では、陸軍は奇襲の重要性に着目するとともに、敵前上陸のための自走舟艇の開発や上陸前後の弱点を補足する海空戦力による強力な掩護を求めるようになった。

 

 

一方、海軍は艦砲射撃の効果が少なかったことに着目し、折から軍艦の精巧化に伴って艦艇乗員の専門化が進み、陸戦隊の維持が負担となっていたことから、上陸作戦への主体的関与を薄めていった。

 

このことから、日本軍の上陸作戦は陸軍が主導するようになり、1927年から1932年にかけて陸海軍協同で制定された「上陸作戦綱要」において明文化された。

 

 

またこれと前後して、人員を輸送・揚陸するための小発動艇(小発)、火砲・車両等の輸送に対応した大発動艇(大発)が開発されたが、これらは世界初の実用的上陸用舟艇であった。

 

これらのシステムは、1932年の第一次上海事変の際の七了口上陸作戦において早速実戦投入され、有効性が確認された。

 

アール・H・エリス中佐

 

一方、米西戦争によってカリブ海および太平洋の旧スペイン植民地に対する管理権を獲得したアメリカ合衆国も、これらの地域での上陸戦を想定した研究に着手していた。

 

こちらは、折から陸軍への合併・廃止が提案されて組織存続の危機に直面していた海兵隊が主務者となっていたこともあって、海軍との統合作戦を前提としており、1934年にはアール・H・エリス中佐の構想を基にして暫定上陸作戦マニュアルが作成された。

 

 

支那事変の緒戦において、1937年には杭州湾への上陸作戦が行われたほか、大東亜戦争でもマレー作戦などで上陸作戦が展開された。

 

これらの戦闘において、日本軍は海空陸戦力を密接に協同させた作戦を展開しており、米軍により「海洋電撃戦」(maritime blitzkrieg)として高く評価された。

 

 

しかし日本陸軍では、上陸作戦は上陸した段階で終了するものと捉えており、その後の戦いは通常の陸上作戦となるものとする観念が強く、島嶼戦の連続となるような状況や、港湾設備がない島嶼で長期に渡って活動し続けるという状況は想定されていなかった。

 

 

また特に中国沿岸で圧倒的な制海制空権下での成功体験を積み重ねたことは、後に太平洋戦域において強大な米英の海空軍に対抗するにあたり、陸海軍協同の阻害要因となった。

 

海軍は艦隊決戦に重きをおいており、上陸作戦の援護や、上陸後の軍事海運に対する関心は薄くなっていた。

 

 

これに対し、アメリカ軍の水陸両用作戦は当初から統合作戦として発達したこともあって、サイパンのように大規模な作戦では、ひとつの攻略作戦において海軍・海兵隊・陸軍と軍種を越えた指揮系統が組織されるようになっていた。

 

特にこの時期の海兵隊と海軍との連携は歴史上前後に例がないほどに強いものであった。

 

 

大戦での経験を踏まえて、アメリカ海兵隊では空地連携が更に推し進められることになり、1947年に制定された国家安全保障法では、海兵隊部隊の編制内に航空部隊が含まれることが明記された。

 

 

そして1952年、アメリカ合衆国議会は、海兵隊の航空部隊・地上部隊の統合の推進を打ち出した。

 

これと並行して、アメリカ海兵隊では、ヘリコプターを水陸両用作戦で活用するための研究に着手していた。

 

 

これはヘリボーンの戦術的な利点と同時に、部隊の集結・散開を迅速に行えるために戦術核兵器の標的になりにくいこと、また放射性物質を含んだ津波の影響も避けやすいことにも着目したものであった。

 

1947年12月には実験飛行隊 (HMX-1) が編成され、1948年5月の上陸演習では護衛空母を母艦としたヘリボーンを実施して、その有用性を立証した。

 

 

また空地連携を効率的に行うための編制についても研究が進められた。

 

1954年には海兵隊総司令官が「海兵空地任務部隊(MAGTF)コンセプト」を打ち出し、実験・演習を経て、1963年にはその編制が正式に定められた。

 

これは均衡が取れた陸・空の戦力および兵站支援能力を備えた部隊を、自己完結型の「パッケージ」として組織しているという特徴があり、以後のアメリカ海兵隊の水陸両用作戦の基本単位となった。

 

 

一方で、現代では対艦弾道ミサイル・巡航ミサイルの発達により、それを保有する大国相手には水陸両用作戦の実行自体が困難になるという意見もある。

 

 

米中間における軍事的衝突の潜在的可能性やマルチハザード化に伴って海軍と海兵隊の連携強化が進められていることもあり、2017年には、水陸両用作戦よりも広範な概念として「係争環境における沿海域作戦」(LOCE)コンセプトが打ち出されたが、これは海と陸を含む沿海域を「一体の、統合された戦場空間」として位置付けるとともに、制海と戦力投射の相互関係をも取り込んだものとなっている。

 

 

 

水陸両用作戦には4つの基本的なタイプがあり、また災害派遣や人道支援活動など戦争以外の軍事作戦も「その他の作戦への支援」(Support to Other Operations)として追加されることもある。

 

強襲(Assault)
 
敵の支配下にある沿岸地域で陸戦を展開するにあたり、作戦部隊や兵站活動の前進拠点(橋頭堡)を確保するための作戦。
 
 
奇襲(Raid)
 
強襲は恒久的な占領を目的とするのに対し、戦術的・作戦的な目的を達成するための一時的な拠点確保を目的とするのが「奇襲」で、部隊の撤収・収容を最初から計画に織り込んでいる点が決定的に異なる。
 
通常は小規模なコマンド部隊による特殊作戦として行われるが、ディエップの戦いのように師団規模の作戦が展開される場合もある。
 
 
撤退(Withdrawal)
 
自軍や物資、民間人を撤退させる作戦。
 
 
 
示威(Demonstration)
 
敵への欺瞞・陽動や自軍戦力の誇示を目的とした作戦。