Mk.45 5インチ砲は、アメリカ海軍の艦砲システム。
54口径5インチ(127 mm)砲Mk.19(5"/54 Caliber Gun Mark 19)または62口径5インチ砲Mk.36(5"/62 Caliber Gun Mark 36)を軽量の単装砲塔と組み合わせた両用砲である。
アメリカ海軍は、1934年に38口径12.7cm砲(Mk.12 5インチ砲)を制式化し、駆逐艦級艦艇の主砲、あるいは大型艦の副砲/対空砲として広く搭載した。
第二次世界大戦後期に至ると、艦種にかかわらず、遠距離用として38口径12.7cm砲(方位盤はMk.37)、中距離用として56口径40 mm機関砲(方位盤はMk.51)、近距離での最終防御用として70口径20 mm機銃(照準器はMk.14)の3種類に対空兵器を統一し、縦深的な防空網を構築した。
その一方で、38口径12.7 cm砲の後継となる新型対空砲の開発も進められており、まず長砲身化した54口径12.7 cm単装砲(Mk.39 5インチ砲)が実用化されたものの、アメリカ海軍での搭載艦はミッドウェイ級航空母艦のみとなった。
続いて、同様の長砲身を踏襲しつつ、揚弾薬作業の機械化によって発射速度の向上を図った54口径127mm単装速射砲(Mk.42 5インチ砲)が開発され、経空脅威の深刻化を背景として、1950年代以降、航空母艦や巡洋艦、駆逐艦、護衛駆逐艦に広く搭載された。
Mk.42 5インチ砲は毎分40発という高い発射速度を誇ったものの、これを実現するために揚弾薬・装填機構は複雑化し、所要人員も多く、砲システムの重量容積も増大していた。
一方ヨーロッパでは、1960年代より、砲塔の無人化を図った軽量自動砲の開発が盛んになっていた。
アメリカ海軍もこの趨勢にあわせて、1964年、FMC社 (FMC Corporation) に新型軽量自動砲の開発を発注した。
これによって開発されたのが本砲である。
開発は1968年に完了し、同年12月より実験艦「ノートン・サウンド」での試験を受けて、1967年度計画のカリフォルニア級原子力ミサイル・フリゲート(DLGN)より装備化された。
砲そのものはMk.19と称されており、Mk.42で採用されていたMk.18と同じ54口径127 mm砲だが、砲身命数は、Mk.18砲では3,070発だったのに対し、Mk.19砲では7,000発とされている。
砲口初速は、新品状態で808メートル毎秒、砲身命数の中間時期で762メートル毎秒とされる。
またその後、62口径長に長砲身化したMk.36 mod.4が開発され、Mk.45 mod.4で採用された。
本来は射程93キロメートル以上を狙ったERGM (Extended Range Guided Munition) 誘導砲弾も開発されていたものの、これは2008年に頓挫した。
ただしその後も、BAEシステムズ社では、射程100キロメートル級のMS-SGP(Multi Service - Standard Guided Projectile)誘導砲弾の開発を進めている。
砲の操作要員は合計6名で、管制室には砲台長とコントロールパネル操作員、下部給弾室に給弾員4名が配置されている。
管制室には、砲の操作・給弾をコントロールする電源パネル(EP-1)、コントロール・パネル(EP-2)、テスト・パネル(EP-3)の3基が配置されている。