戦車戦を紹介している動画。
戦車戦の歴史から紹介されていて、動画を観ていても楽しめます。
戦車の砲弾の解説もされていて冒頭で劣化ウランの戦車砲弾というか徹甲弾の解説もされていて戦車戦・機甲戦闘の歴史が解ります。
機甲戦、戦車戦、対機甲戦闘についてちょっと紹介したい。
機甲戦とは、現代戦において戦車をはじめとした装甲戦闘車両を投入した戦闘を言い、これは現代戦の重要な部分となっている。
特に戦車どうしの戦闘は戦車戦と呼ばれることが多い。
機甲戦の基本原理は、防衛線に対して機甲部隊の機動力を使用して突破する能力にある。
機甲戦の実例の多くは、戦車、歩兵戦闘車、自走砲といった車両の使用を中心としている。
さらに機械化された戦闘工兵などの支援部隊も使用される。
機甲戦の戦闘教義は、第一次世界大戦の西部戦線で行われた塹壕戦の膠着状態を打破するために開発された。
また、軍事戦略上の結果としては機動と決戦を主唱した主張した19世紀の軍事学派の思想に回帰するものであった。
第一次世界大戦以前では、軍馬を装備した騎兵部隊が、現在戦車の任務となっている役割を遂行した。
すなわち、機動により歩兵部隊を突破し後方にある敵連絡線を攻撃することである。
しかし戦場へ機関銃が配置されたこと、また部隊側面の占有能力が増強されたこと、これらは隙の無い戦線へと至り、任務に当たる騎兵を非常に脆弱なものとした。
イギリスのマーク I 戦車は、1916年9月15日、ソンムの戦いで最初に実戦投入されたが、行き詰まった塹壕戦を突破することはできなかった。
カンブレーの戦いでは、イギリスの戦車はより大きな成功を収め、ドイツ軍がヒンデンブルクラインに設けた塹壕地帯を突破した。
ドイツ軍の壊滅的な最後の攻勢の後、戦車はソワソンの戦いとアミアンの戦いで用いられ、どちらも塹壕戦が西部戦線で強いてきた停滞を終わらせた。
第一次世界大戦の後、機甲戦の技術的・戦闘教義的な面はより洗練され、教義上の考察としては複数の軍事学派に分かれた。
1920年代、戦車の開発で提携していたイギリスとフランスの指揮官達は、新しい概念の発展をもたらした。軍事学上の重要な分岐は、フランスとイギリスの同じ考えを持つ学派に生じた。
フランスの軍事学派では、広く歩兵部隊を支援するための兵科となる機甲部隊を提案した。
要求されたのは重装甲と歩兵支援用の主砲を具備した戦車、それに加えて大量投入により敵の前線を突破する「騎兵」戦車であった。
第一次世界大戦での戦車運用を思いださせるものであり、退行に見えるが、これは敵歩兵の防御の崩壊に期待せず、機動の要素をもたらしたいという要望を含んだ戦闘教義を唱えるものだった。
イギリスの学派は、より軽量で機動力のある設計に傾斜していた。
これは同等に機械化された歩兵と砲兵および工兵部隊を支援するためのものであり、軍馬を用いる騎兵部隊を代替するものであった。
こうした自己充足的な機械化の分離整備は、戦車への依存を、主要な敵前線を突破する手段としてのみ提供させるにとどまり、また、前世紀になされたように、連絡線と補給線を切断することによって敵の敗北をもたらそうと企図していた。
どちらの戦闘教義も、1920年代の装甲車輌は、一般的に初期の路上輸送において非常に信頼性に欠けるという現実に直面し、持続した作戦行動に用いることはできなかった。
現代の機甲戦の戦闘教義は、第二次世界大戦直前の数年間に発達した。
ほとんどの例では、防衛線を突破する役割において、戦車を歩兵の支援兵科とみなしていた。
通常行われる戦争の基本的な鍵とは、敵防衛線の特定箇所へ兵力を集中することである。
それは弱点、または戦略、戦術、作戦行動上の優位をもたらす箇所である。
兵力の集中は、特定箇所での交戦に際し、戦争の原則の一つである「数的優位」を適用することで勝利の機会を増大させる。
この優位は、もし妥当に選択され利用されたならば、戦術的な戦闘、もしくは戦略的に勝敗を分かつ決定的な戦いとなるような幾度かの作戦行動での、成功への大きな機会を保証する。
後にドイツ語では、所定の箇所にこうした集中を成立させることを「Schwerpunktbildung(重心の構築)」と定義した。
この語は訳すと「development of a centre of effort(努力の焦点を作り出すこと)」となる。
2条の敵対する防衛線を見る。
双方は、防衛線の長さと一致してそれに沿うように配される、2つの歩兵部隊と2つの機甲師団から構成されるとする。
数的に同等な攻撃側は、2つの機甲師団を防衛線の一点に集中させ、2個歩兵師団に防衛線の残りの場所を保持させることで勝利が可能である。
敵防衛線を突破する機会を増強した後、前線を通過し、切断され二つの部分に分かれた防衛線の後方へ迂回する。
さらに、数的優位をより少数の防衛側の側面攻撃に利用することで、防衛線の、無傷な状態にある部分からの後退を彼らに強制する。この結果、突破が拡大される。
防御側は反撃を試みることができるが、どの点でも強力ではない。
また、防御側による歩兵と戦車の連合した攻撃は、歩兵のみの攻撃よりは強力であるが、師団が戦線全体に広く展開されているということから、非常に強力なものではなくなる。
また一般的に、戦場の塹壕陣地化や、こうした反撃のために準備する野戦技術の要素から見て、防御は攻撃より非常に簡単である。
全ての戦争の主要な面はランチェスターの法則で知られているような単純な公式になる。
この式は、全ての条件が等しいとき、ある戦闘部隊と同戦力の敵部隊とが相互に接触すると、戦闘部隊の相対的な戦力は、部隊の兵員の数の二乗になる事を示す。
- 1輛の戦車には1輛分の戦力がある。(1^(2) = 1)
- 2輛の戦車には、1輛の戦車と相対して4倍の戦力がある。(2^(2) = 4)
ここから、2倍の数の戦車は相対的な火力が4倍になることが引き出せる。
相対的なそれは、友軍部隊の兵員一人につき敵側の持つ火力の総計である。
他の言い方では、友軍が敵の行動から受ける相対的な損害は4倍減らされるとも表現でき、これは上記の内容と同じ事である。
友軍戦車の絶対数が2倍であることだけでなく、敵側の戦車の量は、両軍がそれぞれ保有するものを比較することによってもおよそ半減される。
このように2個師団を一箇所に集中し攻撃することは、2個師団を線状に展開し、戦線正面を前方へ押し上げて達成するよりも、はるかに強い攻撃力を生じさせる。
戦力の集中では機動力が要求されるが、これは敵が攻撃を受ける点を探しだして防御箇所を補強するのを防ぐためである。
また火力の集中は戦闘において一度達成されると効果を発揮する。戦車はこれら2つの特性を具体化したことで機甲戦における主要な兵器となった。
第二次世界大戦中に参戦した全ての軍隊の兵力は、主として歩兵部隊と、他の支援兵科である砲兵部隊、偵察部隊、工兵部隊、輜重部隊、および主計部隊から構成された。
イギリスとアメリカ合衆国は両方とも戦争の終わりまでに完全に機械化しており、これらの国は除外しても、歩兵部隊は未だ軍馬による輸送に非常に依存していた。
また砲兵も、戦場での作戦時には馬によって砲を牽引した。戦略的な部隊の展開は、鉄道輸送網によって行われていた。
冷戦の数十年の間、東地中海地域のイスラム諸国とイスラエルの対立は、特に機甲戦の試験場の役を果たした。
アラブ諸国とイスラエルの両陣営とも、一連の紛争で戦車と他の装甲車両を重用した。
1973年の第四次中東戦争まで、良い戦術と部隊の団結のために、イスラエルの機甲部隊は一般的に優勢だった。
しかし、戦車部隊と歩兵の協働は欠けており、問題が生じた。
第四次中東戦争中、かなりの数の単独行動中だったイスラエル軍戦車が、対戦車ミサイルを持つエジプト軍歩兵によって撃破された。
これは極端な例であるが、第二次世界大戦以後、かなり徹底して記録されたことの例証である。
それは、互いの強さを利用し、弱点を最小にするべく連携することで、戦車部隊と歩兵は最もよく働くということである。
多くの紛争において、歩兵部隊が戦車の後部に搭乗しているのを普通に見ることができる。
彼らは飛び降りる準備を整えており、必要なときに支援に当たれる。
不幸なことに、現代の戦車設計の多くがこの後部を常に危険なものにしている。
例えばM1エイブラムスでは、ここに熱い排気ガスを出し、付近の歩兵は自分の立ち位置に注意しなくてはならない。
戦車は、良好な照準を行った砲列に対して非常に脆弱になり得る。
よく統制された航空支援と対砲迫戦能力を備えた部隊は、この問題の克服について支援できる。
戦車はほぼ単独行動を取らない。
通常、最小の部隊編成は戦車4または5両からなる小隊である。
アメリカ陸軍または海兵隊において、小隊は士官に率いられ、中隊を構成する。
小隊の各戦車は相互に支援を与えあって働く。
2両が前進するならば、その間、他の車両は援護する。
その後に停車して援護を行い、残った車両は前進する。
通常、複数の小隊は機械化歩兵と協働し、敵前線の弱点を突破するために、彼らの機動性と火力を利用する。
この役割には強力なエンジン、走行装置と砲塔が役立つ。
砲塔を全周旋回させられる機能は、小隊内及び小隊同士での連携した行動を可能とする。
複数方向からの攻撃に対抗し、防御する間、部隊と車輌は停止や徐行を行うことなく交戦する。
守勢にあるとき、これらの部隊は配置された場所で待つか、遮蔽物としてどんな自然の地形、例えば小さな丘でも利用する。
丘の頂上のすぐ後ろに位置する戦車は、砲塔の最上部および戦車砲とセンサー群だけを敵に曝すこととなる。
これは「ハル・ダウン」と呼ばれ、丘の向こう側の敵と交戦できている間、最も直撃の可能性が小さい目標となる。
最新の運動エネルギー(KE)弾はほぼ水平な弾道を描くことから、戦車は通常、水平位置より下へと戦車砲を下向けることができるようになっている。
こうした構造なしには、車輌はこのような遮蔽された位置を取ることができない。
しかし丘の頂上に戦車が達すると、即座にこの車輌は薄い床面の装甲を敵の兵器に曝すことになりうる。
戦車の全周に配置される装甲は均一の厚みではない。
典型として、前面装甲は側面や後面よりも厚く配される。
そこで通常は、常に敵に正面を向けることが行われ、戦車が退却するときも、向きを反転させるかわりに、後退が用いられる。
後退して敵から離れるのは、彼らのほうへ進むより安全である。
戦車が前進して丘の隆起を越え、前面装甲を空中へ突き出すと、底面の薄い装甲が曝される。
また、戦車砲の俯角の限界を超えることで、目標を捉えられなくなる。
戦車の履帯、転輪、また緩衝装置は装甲された車体の外部にあり、いくつかある弱点の中で最も弱い箇所である。
戦車を無力化する最も簡単な方法として、履帯を損傷させて機動力を奪うこと、外部を観測する機材に障害を与えて、乗員が外を観察できなくすることがあげられる。
戦車が故障を起こせば、撃破するのはたやすくなる。
サイドスカートが重要な部分となる理由は、この部分が重機関銃の威力を弱め、また成形炸薬弾の信管を発火させて走行装置に直撃できなくするためである。
他、戦車の典型的な弱点としては、吸気口やラジエーターの配置される機関室上面、砲塔と車体を接続する箇所であるターレットリングがあげられる。
防御的に用いられるとき、戦車はしばしば壕の中に置かれるか、また防御力向上のために土手や堤の後に配置される。
戦車は自らの防御箇所から2、3発の砲弾を発射でき、それからまた、壕や堤の後ろにあらかじめ備えておいた別の配置へと後退する。
こうした防衛箇所は戦車の乗員にも作られるが、もし工兵とブルドーザーを準備できれば、彼らが設営した方がより良く、早い。
頭上の防御物については、かなり薄いものであるにせよ有効でありうる。
これは砲兵の放つ砲弾を過早に撃発させる助けとなり、上面装甲が最も薄い戦車にとり、相当に致命的な上面への直撃を避けられる。
戦車の乗員は、できる限り彼らの車輌の防御力を増す、数多くの方法を探そうとする。
戦車は通常、砲弾を装填した状態で戦闘に入る。
これは敵と遭遇した際の反応時間を最短にする。
アメリカ軍の戦闘教義ではこの砲弾を徹甲弾としている。
敵戦車と遭遇したときに先制の砲撃を加え、また可能であれば先制して撃破するには、反応時間は最重要である。
もし兵員や軽車輌に遭遇した際には、理想的ではないにせよ、普通の対応として装填済みの徹甲弾が放たれる。
薬室に装填済みの砲弾を抜弾することは、困難で時間を使う作業である。
この状況では徹甲弾を発砲した後に対戦車榴弾が装填され、戦闘が続行される。
市街戦での戦車は、壁を崩し、中量級から重量級の機関銃を多方向に同時発射できる能力を持つことから決定的存在でありえる。
しかし、戦車は市街戦で特に弱体化する。
敵歩兵にとり、戦車の後背から奇襲することがより容易くなり、または側面から攻撃できやすくなる。
これらの箇所は戦車の弱点である。
加えて、高層建築物から撃ち下ろせば薄い砲塔上面を射撃でき、火炎瓶のような初歩的な兵器でさえそれが可能である。
もし機関室上面の空気吸入口を狙えば、戦車は無力化される。
このような限界に加え、友軍兵力または市民が近くに居る可能性のある場所では、戦車の火力が有効に発揮できず、市街の制圧に用いることが難しい。