日本飛行機専務宅放火殺人事件とは、1990年4月12日に中核派が起こしたテロ事件。
1990年4月12日の午前2時50分頃、神奈川県鎌倉市の日本飛行機専務宅に時限式発火装置を仕掛けられて全焼した。
当時同専務は就寝中であったものの物音で目を覚まし、寝ていた夫人を起こしてから近隣の民家へ消防への通報を依頼しに自宅から脱出したが、夫人は逃げ遅れて遺体で発見された。
死因は一酸化炭素中毒。
同専務も顔や頭に全治1か月の火傷を負った。
発火装置は、逃げ道をふさぐ形で、勝手口脇と風呂場脇の2か所に仕掛けられていた。
当時、成田空港問題を巡って、航空関係者の自宅への放火が相次いでいたが、家人に死者を出したのはこれが初めて。
日本飛行機は防衛庁へ航空機部品を納入し、株主である日本航空や全日空から役員が派遣されていたが、同社総務部は「過激派に狙われる理由はわからない。犠牲者が出たことに憤りを感じる」とコメントしている。
事件後、中核派が犯行声明を出したことから、公安警察は中核派によるテロ事件と断定した。
これが極左暴力革命だ。
こんな左翼は今沖縄で反米軍基地運動と称して活動している。
成田闘争の過激派は定年を迎えてこういう過激な活動を今も行っている。