戦争体験者は年々減り続け、戦争を語れる人は少なくなっている。
零戦搭乗員として活躍した原田要氏の語った言葉は戦争の証言として後世に残るであろう。
戦争体験を伝える者は減っても彼等が書き残した記録やカメラの前で語ったことは戦争の語り部として後世に貴重な資料であったり記録として日本人の記憶に留めることだろう。
以下産経ニュースより転載
平成28年5月に99歳で亡くなった元ゼロ戦パイロットの原田要さんの生涯をたどったドキュメンタリー映画「原田要 平和への祈り」の上映会が、神戸市中央区の県遺族会館で開かれた。
先の大戦の戦没者遺族でつくる県遺族会の青年部が企画し、原田さんの出身地の長野県以外では初めての上映。
講演した宮尾哲雄監督(69)=同県須坂市=は「戦争や平和を考える一つのきっかけにしたい」と話した。
原田さんは長野県浅川村(現長野市)出身。
17歳で旧日本海軍に志願し、ゼロ戦のパイロットとして真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に参戦した。
戦後は「あやめた人命以上に次の世代の命を育てるのが役目」と幼稚園を経営し、子供たちに命の大切さを教えた。
映画は原田さんの知人やフリーアナウンサーらでつくる「戦争体験を継承する会」(須坂市)が平成29年に制作。
長野県内の映画館で上映したところ、6千人以上が鑑賞し、大きな反響を呼んだ。
県遺族会青年部の関係者が映画の存在を知り、「証言講演」として今回の上映会を開いた。
映画で原田さんは「墜落していく飛行機から相手の顔が見えた。殺さなければ殺される、それが戦争」と証言。
戦友が息を引き取ったときの言葉が「おっかさん」だったと明かし、「命の大切さを母親が子供たちに伝えてほしい」と訴える。
宮尾監督は元長野放送報道局長。原田さんが自らの戦争体験を若者に伝える姿に共感し、約3年をかけて映画を制作した。
原田さんの体験談に加えて、当時の貴重な写真や映像、他の証言などを盛り込んでいる。
上映会に参加した神戸市垂水区の男性(88)は「若い頃の記憶が蘇り、自分も戦時中の体験を伝えていかねばならないと感じた」と話す。
宮尾監督は「長野県外で上映の機会をいただきうれしい。映画が広がり、多くの人に見てもらうきっかけになれば」と期待している。
(産経ニュース)
私もいろんな方から戦争体験を聞いた。
それぞれの立場から見た戦争は様々で凄惨な戦場へ行った人ほど口が重たかった。
そういう方の言葉は言葉数は少なくてもとてもとても重い言葉であった。
戦後も戦時中の体験で精神的に苦しんだ人も少なくない。
華々しい戦場を語ることはなく、いかに戦場で生き残るのが大変なのか・・・地獄があるのだとしたらこういうことかとさえ思ったものだ。
そういう話はほとんどの戦場体験者は書かないしカメラの前でも語ったりしない。
私は原田氏の映画は見ていないが、戦争体験の本音が語られているのなら見てみたいと思った。