今、戦車をレストアして日本に里帰りさせようという運動とか大東亜戦争の兵器の復活が起きているようだ。
以下産経ニュースより転載
【いまも飛ぶ大戦機】 直列、水平対向、V型といった表現は、自動車のエンジンでよく耳にする。
これはピストンとシリンダーの並び方、すなわち気筒配列を表す用語なのだが、第二次大戦中の航空機エンジンでは「星型」が主流だった。
前方から見た各気筒の並び方が、文字どおり「星」を形成するエンジン型式である。(藤森篤)
大馬力化、つまり排気量の増大をはかるには、気筒数を増加すればよいと考えられた結果、必然的に星型エンジンが考案された。
その型式は当時の最先端技術であり、放射状に並んだ多数のピストンがそれぞれ干渉せずに一本のクランクシャフトを回転させる独特の構造は、機械的知識をお持ちの方でも容易に理解することが困難なほど複雑だ。
「零戦」と「隼」が搭載したのも星型エンジンであり、中島飛行機製の空冷星型複列14気筒エンジンであった。
海軍ではそれを「栄発動機」、陸軍では「ハ25 / ハ105 / ハ115」と呼称した。
80年前の日本の技術を垣間見る資料
そのエンジンの取扱説明書が現存する。
昭和18年3月に編纂された『栄発動機二〇型取扱説明書』はおそらく、専門家でも目にしたことがないほど希少なものだ。
敗戦国である日本には、第二次大戦時の兵器、その設計図などがほとんど残っておらず、それは栄発動機においても同様である。
しかし、32枚の構造解説図を含む、総頁372ページにおよぶこの取扱説明書では、中島が曳いた栄発動機の断面図、オイルラインの系統図などが多色刷りで描かれている。
栄発動機のメンテナンスに当たる整備兵のために編纂されたこの取説では、栄発動機の詳細な構造解説、調整方法、起動手順、試運転方法、トラブルシュート、格納保存方法、専用工具一覧などが詳細に語られており、80年前の日本の最先端技術を垣間見る資料として、このうえなく希少であり、リアルである。
マニュアルでうかがい知る栄発動機の特異性
太平洋戦争当時、米英軍はあらゆる兵器類の取り扱いや整備などを徹底的にマニュアル化することで、効率化と人的ミスの低減を図っていた。
かたや徒弟制度が根強い日本では、この分野では相当に立ち後れていた。
ところが栄発動機には、工場から最前線、工員から一兵卒にいたるまで、正しく遅滞なく稼働させるために、このマニュアルが用意されていたのだ。
その意味においても、いかに栄が特別なものであったか、いかにこの取説が特異な一冊であるかがわかる。
零戦や栄の現物がほぼ残っていない今日において、専門家の間ではその性能などに関していまだ議論が沸き起こるが、その結論のための糸口が、この一冊に見出されるかもしれない。
【プロフィール】藤森篤(ふじもり・あつし)
日本大学理工学部航空宇宙工学専修コースで、零戦設計主務者・堀越二郎博士らに学ぶ。
30余年間、飛行可能な第二次大戦機の取材撮影をライフワークとする。
著書は「零戦五二型・レストアの真実と全記録」(エイ出版社)など。
(産経ニュース)
日本では残念ながらこういうかつての戦闘機や戦車を動かそうという機運はない。
戦車だってイギリス人コレクターが行っているし、占守島の戦車十一聯隊の戦車もロシア人に持ち去られロシア国内でレストアされて動かそうとしている。
日本にはそもそも動かそうと復活させる零戦も戦車もほとんどない。
戦後、日本に戦車が里帰りし美術館で展示していたが館長が亡くなると白浜で展示され転売されてイギリス人コレクターの所有となっていった。
日本はかつて日本人英知の集大成として開発され国民の血税で生産され尊い日本人の命を懸けて戦った兵器を忘れ去り臭いものには蓋といわんばかりに無視し保存などは一部の有志に委ねてきた。
400年前の城は大事にしても近代の戦争遺跡の保存にはほとんど力を入れていないのが現状だ。
それでいいのか?