陸上自衛隊の事実上の前身である日本陸軍の時代においては、おおむね第二次世界大戦頃の砲兵の兵種として野砲兵・山砲兵・騎砲兵・重砲兵・野戦重砲兵・臼砲兵・迫撃砲兵・噴進砲兵・速射砲兵・高射砲兵・機関砲兵・船舶砲兵などに分かれていたが、現代では火砲の発達やドクトリンなどの進化により自然に統廃合が行われ、基本的に対地攻撃・対艦攻撃を行う野戦砲兵と対空攻撃を行う防空砲兵に分かれ、前者を野戦特科と後者を高射特科と称している。
現在の中期防では、火砲定数の大幅削減が計画されており、野戦特科部隊は、北部方面隊隷下部隊を除き、4個方面隊の師団旅団の特科(連)隊および、2個方面特科隊が廃止・縮小・再編され、方面隊直轄の特科(連)隊に再編される予定。
また、高射特科部隊でも、方面隊直轄の高射特科群と師団旅団の高射特科部隊が再編される予定の方面隊がある。
特科団および方面特科隊は特科群および直属する特科大隊、地対艦ミサイル連隊を基幹とし、後述する情報中隊を拡充した観測中隊(第303観測中隊は特科教導隊に編成)1個と本部中隊を編成し、特科群および直属の特科大隊、地対艦ミサイル連隊をもって編成している。
特科大隊は師団全般支援を担う射撃大隊であり、必要に応じ、師団旅団の特科(連)隊、戦闘団を増強する予備戦力として運用する。
北方・東北方・西方のみの編成となっている。
機動師団・旅団に改編された第8師団および第14旅団は重武装である特科火力(FH-70)を方面隊直轄運用として再編成し、西部方面特科連隊・中部方面特科隊として編成している。
そのため、西部方面特科連隊については2018年度末に「地域防衛師団」である第4師団の第4特科連隊を編入させ増強するとともに、重装備の方面隊管理を予定している。
日本ではM110A2を採用して1983年からライセンス生産が行われ、1984年度末から「203mm自走りゅう弾砲」の名称で陸上自衛隊方面総監直轄の特科大隊に配備が進められ、計91両が配備されている。
現在は北部方面隊の第1特科団と特科教導隊のみに配備されている。
かつては第1特科団隷下の第1特科群・第103特科大隊、第4特科群・第120特科大隊、東北方面特科隊、西部方面特科隊にも装備されていたが、廃止されている。
砲身はアメリカからのFMS(有償援助)で取得し、砲架を日本製鋼所、車体を小松製作所が分担して製造している。
運用の際には87式砲側弾薬車が随伴し、弾薬の運搬と補給を行う。
2000年に防衛庁(当時)により「サンダーボルト」の愛称が与えられたが、配備部隊では「自走20榴(じそうにいまる)」もしくは「20榴(にじゅうりゅう)」とも通称される。
開発国のアメリカですでに退役していることや、火砲の定数が400門まで削減されたことから近い将来退役すると思われるが具体的な情報は発表されていない。なお、2018年の富士総合火力演習では不参加となっている。
実戦使用ではないが、チャイコフスキー作曲「1812年 (序曲)」の演奏において、M110A2の空包射撃が使用されたことがある。
特科連隊は、普通科連隊に隷属する射撃大隊及び群編成は全般支援を担う射撃大隊を基幹とし、各射撃大隊等の支援を行う情報中隊及び連隊等本部を支援する本部中隊で構成されている。
各射撃大隊には本部管理中隊及び2個以上の射撃中隊が編成され、大隊本部管理中隊が実際の射撃管制・諸元計算等の射撃に関する全般支援を担っている。
また、射撃大隊には普通科(戦車)戦闘団隷属指定された大隊と、師団全般支援を担う射撃大隊が存在し、前者は全ての特科連隊に存在しているが、後者は北部方面隊の一部の特科連隊に限定されている。
群隷下の射撃大隊は、方面全般の射撃支援の他に必要に応じて群若しくは大隊単位で各普通科戦闘団へ隷属する
普通科連隊への射撃支援を担う射撃中隊3個及び射撃中隊の射撃管制及び隊本部の支援を担う本部管理中隊で構成されている。
師団特科連隊と違い各射撃中隊に対する管制・諸元計算等は中隊単位では行わずに全て隊直轄の本部管理中隊が行っている。
基本原則は中隊単位では各普通科連隊への射撃支援は行わず、特科隊全般が必要に応じて旅団隷下の特定の普通科連隊への射撃任務を行うが、状況に応じて普通科連隊への隷属が中隊単位で行われる事を想定し、中隊長の階級は射撃大隊隷下中隊の1尉に対し、一般には大隊長クラスとなる3佐が指定されており運用能力の向上を図っている。
第1・3師団については「政経中枢師団」として編成されているため、大隊編成でなく旅団特科隊と同規模で運用される。
99式自走155mmりゅう弾砲は、日本の陸上自衛隊が75式自走155mmりゅう弾砲の後継として開発した自走榴弾砲である。
防衛省は広報向け愛称をロングノーズ、略称を99HSPとしており、配備部隊内では99式15榴やSPとも通称される。
1985年(昭和60年)から、75式自走155mmりゅう弾砲の後継として研究開発が開始された。
当初は75式の砲身長(30口径)を、39口径に換装することを検討していた。
しかし、射撃管制装置の更新などの要求が出たために、車体も1987年(昭和62年)度から89式装甲戦闘車をベースに新規開発される事となり、車体は三菱重工業、砲と砲塔を日本製鋼所が開発を担当した。
口径は、75式自走155mmりゅう弾砲と同じ155mmで、砲身長は30口径から52口径に延長されている。戦車と異なり砲身にスタビライザー等はなく、当然移動間の射撃は不可能であるため、砲身は停車して射撃する時以外はトラベリングクランプにより固定されている。
トラベリングクランプは2組付いており、全自動で開放、固定の操作が可能である。駐退復座機構の油圧を制御することで、砲身を後座して格納した状態にすることもできる。
最大射程は約30kmと75式の1.5倍以上に延びている。
自動装填式であるが、装填は任意の角度で行うことができ、砲を一定の角度に戻して装填する必要があった75式に比べて、迅速な装填を可能にしている。
さらに、砲弾のみ自動装填であった75式に対し、砲弾と共にユニ・チャージ式の装薬も自動で装填され、最大で毎分6発以上、3分間で18発以上の発射速度を有する。
榴弾砲は間接照準射撃(目視できない敵に対する射撃)のために作られた砲であり、自衛目的などで行われる直接照準射撃(敵を目視して行う射撃)を除いては基本的に単体で照準を行うことが出来ない。
敵および弾着の確認を行う射弾観測部隊と、射撃に使用する方位角や射角を計算するFDC、そして、それらの部隊と射撃部隊を繋ぐ通信システムが射撃において必要となる。
前任の75式は、自己位置の評定に測量が必要であり、射撃に必要な方位角を入力(射向付与)するには、方向盤(Aiming Circle、方位磁針により正確な方位角を測定する装置)と各火砲に搭載されたパノラマ眼鏡の反覘(はんてん)法および照準点となるコリメーターや標桿等の設置が必要となっていた。
また、射撃指揮所(FDC)で計算された射角や方位角、信管の調整は無線や有線により音声で各火砲に伝えられていた。