米海兵隊を最近紹介したけれど、陸自に「海兵隊」的な部隊がある。
離島防衛の専門部隊「水陸機動団」だ。
島嶼防衛は基本「奪還作戦」だ。
米海兵隊はかつて旧日本陸軍の将校を招き精神面の教育を受けた。
日本軍人魂の逆輸入ってこともあるかもね・・・・。
以下産経ニュースより転載
陸上自衛隊の離島防衛の専門部隊「水陸機動団」(長崎)は14日、鹿児島県・種子島で米海兵隊第3海兵師団(沖縄)と島しょ奪還に向けた共同訓練を実施し、報道陣に公開した。
共同訓練は5~19日の日程。
尖閣諸島を巡る緊張の高まりを背景に、中国に対し日米の連携強化をアピールする狙いもあるとみられる。
水陸機動団は、今春創設され「日本版海兵隊」とも言われる。同団と海兵隊との水陸両用作戦の共同訓練は米ハワイで今夏に実施して以来で、国内では初めて。
14日は、陸自約220人、海兵隊約10人のほか、海自輸送艦「おおすみ」などが参加。
空が白み始めた午前6時ごろ、水陸機動団の隊員らは沖合に浮かんだ「おおすみ」からボート5隻で発進し、次々と種子島の海岸に上陸した。
約1時間後には、迫撃砲を抱えた部隊もボートで海岸に到着し、小走りで敵を遠くから攻撃するための態勢を整えた。
(産経ニュース)
かつてガダルカナル争奪戦で米第一海兵師団強襲大隊長メリット・エドソン中佐は第一線に立って部下を叱咤した。
「貴様たちになくて、ジャップにあるのはガッツだ」と。
米第一海兵師団の防衛線を突破し、ガダルカナルの滑走路に達した日本軍部隊を前に防衛する強襲大隊長の発した言葉だ。
その滑走路に進出し敵中に陣取った日本軍は仙台歩兵第四聯隊第二大隊であり、大隊長は田村昌雄少佐であった。
田村大隊は夜襲により米海兵隊を驚愕させた。
田村大隊は発砲することなく銃剣だけで進路を切り開いたのだ。
三日二夜滑走路に粘った。
しかし、糧食が尽きて後退したのだった。
大本営から派遣された陸士・陸幼の同期生辻政信中佐と再会した時の田村少佐の言葉が残っている。
「おい、辻よ、握り飯がもう二つあったらな、完全に成功したろうよ。支隊で固まって進めば、飛行場を取れたよ。惜しいことだったよ」
田村少佐はガダルカナルから撤収し、後にビルマを転戦、終戦時はタイで迎えた。
俘虜となると「メジャー・田村」と名指しで出頭を命じられた。
出頭すると米海兵隊の士官がにこやかに迎えた。
「メジャー・田村、探していました。我が米海兵隊を恐怖に陥れた貴官こそ勇士です。少佐殿にお会いできたことは、小官の光栄とすることです」と挨拶された。
そして「すぐに飛行機で日本にお連れします。しかし、もしよろしければ米本土にお越しいただけないか。マリーンに近接戦闘の極意を伝授してもらいたいのです」と海兵隊の士官は言った。
田村少佐は米国へ行き客員教官として大隊戦闘を教授したという。
田村少佐も凄いがかつての敵の大隊長を招いて教えを請う米海兵隊も凄いと思うとともに恐ろしいと思った。