米軍の戦闘糧食MREを元自衛官のお笑い芸人「トッカグン」の二人が試食するという動画。
観ていて私が知っている米軍の戦闘糧食のイメージが変わってしまった。
美味しそうだ。
MRE(エムアールイー)は、アメリカ軍が採用している個包装されたレーション。
MREはMeal, Ready-to-Eatの略。1980年代頃からMCIレーション(Cレーション)に取って替わった。
Cレーションが缶詰中心で重量や缶の処理の問題があったのに対し、MREはフリーズドライ食品と簡易包装により大幅な軽量化・合理化が図られている。
アメリカ国防省は、1975年にMREをレーションとして正式採用することを決定し、開発を進めることとなった。
1978年から製造テストが始まり、1981年から製造が始まった。
1981年に製造されたMRE Iが初めて製造日を刻印されたものである。
1983年に34日間かけて、第25歩兵師団でMREの有効性を確認するフィールドテストが行われた。
兵士たちは3食全てをMREのみで過ごした(通常は2週間以上食べ続けるのは控えるべきとされる)。
MREにレーションとして総合的に可という評価が下されたものの、残飯が多く、後の開発に課題を残した。
1個当たりカロリー換算で60%が食べられたが、残りの40%は破棄されたのである。1986年に同じ師団で調査が行われ、評価の向上と残飯の減少が見られた。
初期の MRE は、保存性のみを重視し、味が極端に悪かったため、支給された兵士からは不評だった。MREに対して「味の不味さを揶揄」する数々のバクロニムが考案されている。
- Mr.E (ミステリー)
- Meals, Rarely Edible (とても食べられたものじゃない食べ物)
- Meals Rejected by the Enemy (敵からも拒否された食べ物)
- Meals Rejected by Everyone (誰もが拒否した食べ物)
- Meals Rejected by Ethiopians (エチオピア人にも拒否された食べ物、1983年から1985年まで起きたエチオピア大飢饉に因む)
- Meal, Ready to Excrete (すぐ排泄できる食べ物)
- Morsels, Regurgitated, Eviscerated (吐き戻され、骨抜きにされた一口)
- Mentally Retarded Edibles (知恵遅れな食品)
- Materials Resembling Edibles (食べ物に似た何か)
それ以来味は改善され、メーカーや製造時期によっても差が見られるものの、依然として他国軍隊のレーションと比較すると「まずい」と酷評されている。
トッカグンは、日本のタレント、お笑いコンビ。
「元自衛隊芸人」「サバイバル芸人」として活動している。
小野寺と佐藤は同じ高等学校卒業後、自衛官候補生(任期制)として陸上自衛隊に入隊。
三ヶ月の前期教育を終え、特科隊員として後期教育中にM110 203mm自走榴弾砲の操作を学ぶ。
六ヶ月の教育課程を仙台駐屯地にて修了。
その後、同駐屯地の第2特科群に配属。
小野寺は三番手として自走榴弾砲を装備する第110特科大隊に所属し、佐藤は音源で測量観測をする隊員として第304観測中隊に所属した。
2年任期を終えた二人は自衛隊を除隊し、小野寺は入隊時から興味があった芸能界に入るため上京。
東京で出会った同い年の男と東京NSCに入学し、卒業後も1年間はコンビ「トルーマントルーマン」として活動。
コンビ名の『トッカグン』は、2人が自衛隊時代に所属していた部隊『特科群』から採られている。
小野寺耕平
(おのでら こうへい1983年12月7日(34歳) - )主にツッコミ担当。
- 宮城県本吉郡出身。
- 身長167cm、体重59kg、AB型。
- 細身ながら身体能力があり、自衛隊の体力検定でも全ての種目で1級であった。
- 学生時代、バンドでギターをしていたため自衛隊への入隊には消極的だったが、自衛隊員から「自衛隊でも休日ギターを弾くことができる」と言われ、ギターを背負って自衛隊に入隊した。
- バーベキューインストラクター資格、日本酒の資格を取得している。
- 自衛隊所属時は射撃も得意とし、小銃射撃の中隊代表を務めた。
佐藤昌宏
(さとう まさひろ)1984年2月19日(34歳) - )主にボケ担当。
- 宮城県本吉郡出身。
- 身長172cm、体重65kg、A型。
- パチンコ愛好家であり、パチンコ、スロットに知識が豊富である。パチンコで貯まった150万円以上の貯金を持って上京した。
- 学生時代は目が悪く、視力が0.1にも満たなかったため、自衛隊入隊が危ぶまれたが、視力が一時的に上がるとされる目薬(小野寺はこれをドーピングと語っている)を使用し試験をクリア、無事入隊を果たす。
米軍との日米共同訓練に2回参加しているが、真冬に行われた演習で米兵は温食は無く、常に戦闘糧食を食べていた。
これじゃ・・・こんな身体の大きい米兵が・・・と気の毒に思い我が天幕で焼肉をやったりいろいろ料理して飯を食わせたら毎晩来るようになった。
その時に彼らの戦闘糧食をお土産にくれるのだが・・・甘ったるくて・・・こんなのずーーっと食っているのか・・・。
一説には不味い飯の軍隊ほど強く、うまい飯を食う国の軍隊は弱いというが・・・。
戦後の日本で進駐して来た米兵に「ギブミーチョコレート!」と言ってジープに乗った米兵に駆け寄る日本の子供を描くドラマは多い。
米兵は惜しげもなくチョコレートを投げてよこすが、これには訳があった。
戦闘糧食が美味しいチョコレートだと米兵は配給されると直ぐに食べてしまい、戦闘中に食料が無いってことも多発したため、わざと不味くチョコレートを作ったために、米兵は食わずに日本の子供に惜しげもなくやったというのだ。
米兵には美味しくなくても食糧難で甘いものなんて食べられない日本人にはご馳走だったろうね。
ただ・・、戦闘糧食が美味しいと米兵は配給されたら直ぐに食べてしまうんじゃ・・・・。
日本軍や自衛隊では勝手に戦闘糧食は食べてはいけないのでそういうことはないが・・・・。