73年前の昭和20年8月15日、大東亜戦争は昭和天皇の玉音放送により終結した。
平成最後の終戦記念日の今日、英霊へ鎮魂のため「海ゆかば」や「国の鎮め」を捧げたいと思います。
『海行かば』は、詞は、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(『国歌大観』番号4094番。『新編国歌大観』番号4119番。大伴家持作)の長歌から採られている。
作曲された歌詞の部分は、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)の引用部分にほぼ相当する。
この詞には、1880年に当時の宮内省伶人だった東儀季芳も作曲しており、軍艦行進曲の中間部に今も聞くことができる。
戦前においては,将官礼式曲として用いられた。
当時の大日本帝国政府が国民精神総動員強調週間を制定した際のテーマ曲。
信時潔がNHKの嘱託を受けて1937年(昭和12年)に作曲した。
信時の自筆譜では「海ゆかば」である。
放送は1937年(昭和12年)10月13日から10月16日の国民精神総動員強調週間に「新しい種目として」行われたとの記録がある。
本曲への国民一般の印象を決定したのは、大東亜戦争期、ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕を伝える際に、必ず冒頭曲として流されたことである(ただし真珠湾攻撃成功を伝える際は勝戦でも流された)。
ちなみに、勝戦を発表する場合は、「敵は幾万」、陸軍分列行進曲「抜刀隊」、行進曲『軍艦』などが用いられた。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見はせじ |
作曲 古矢弘政
国の鎮めの宮代と
斎奉らう神御霊
今日の祭りの賑わいを
天翔けりても見そなわせ
治まる御代を守りませ
喇叭「国の鎮め」は戦没者・殉職者に対して吹奏するラッパ譜である「追悼の譜 国の鎮め」は自衛隊にも受け継がれている。