第二次世界大戦の飛行機、特に軍用機である戦闘機が飛べる世界と日本のように「飛べない」世界がある。
法的に飛べないという訳じゃないが、反対する人達、維持費が莫大で・・・、パイロットがいない・・・などなど高い壁がある。
以下産経ニュースより転載
多種多様な大戦機を乗りこなすアメリカ人現役パイロットに、「第二次大戦で最も優れた戦闘機は?」と質問すると、しばしば意外な答えが返ってくる。
「もちろんグラマンF6Fヘルキャットだ!」と。
その真意は、単なる紙上のスペックよりも、頑丈で信頼が置ける機体構造、新米パイロットでも乗りこなせる即戦力の方が、実戦ではずっと重要なのだそうだ。
事実その活躍は目覚ましく、米海軍が太平洋戦争中に空中戦で撃墜した日本軍機の実に80%近くは、F6Fヘルキャットが挙げた戦果であった。
とはいえ垢抜けない外観、際立ったスペックを持たないF6Fヘルキャットは、口さがない大戦機ファンから「偉大なる凡作」とのそしりを受けている。
そもそもF6Fヘルキャットは、革新的設計のヴォートF4Uコルセアが、失敗した場合に備えて開発された、いわば“保険”のような戦闘機だったからだ。
この米海軍の予想は見事(?)に的中し、F4Uコルセアの開発が難航したため、堅実な設計が功を奏したF6Fヘルキャットは、主力艦上戦闘機の座を射止めたのである。
そして太平洋戦争の中期以降、攻勢に転じた米海軍の急先鋒として、対日戦勝利の立役者となったのだ。
かたやF4Uコルセアは、ひとまず空母での運用をあきらめて、米海兵隊の陸上基地に配備された。
ところが米海兵隊での運用が、F4Uコルセアの運命を大きく変えたのである。
前線部隊があり合わせの材料で急造した爆弾架を、機体に装着したところ優秀な戦闘爆撃機に生まれ替わったのだ。
さらに米海兵隊が運用している間に、ヴォート社は改良に次ぐ改良を重ねた結果、F4Uコルセアは太平洋戦争末期に、晴れて米海軍艦上戦闘機として復活を果たしたのである。
ほどなく日本の降伏をもって第二次大戦が集結すると、米海軍は兵力の大幅削減に基づき、機種統一を断行する必要に迫られた。
この頃にはF6Fヘルキャット後継機で、より高性能なグラマンF8Fベアキャットの配備も始まっていたが、米海軍が最終的に選択したのは、戦術爆撃能力に勝るF4Uコルセアであった。
そしてジェット時代を迎えた朝鮮戦争でも、F4Uコルセアは旧式ながら戦闘爆撃機として大活躍し、米海軍の選択が正しかったことを証明してみせたのである。
【プロフィル】藤森篤(ふじもり・あつし)
日本大学理工学部航空宇宙工学専修コースで、零戦設計主務者・堀越二郎博士らに学ぶ。30余年間、飛行可能な第二次大戦機の取材撮影をライフワークとする。著書は「零戦五二型・レストアの真実と全記録」(エイ出版社)など。
(産経ニュース)
日本は第二次世界大戦で多くのものを失ったが、戦前と戦後では余りにも価値観が変わり過ぎた。
第二次世界大戦で日本が製造した戦闘機を日本は国として受け入れることもなく、保存に力を入れてもいない。
かつて日本の技術の粋を極めた技術も戦後失われてしまった。
国産戦闘機の開発なんて・・・・。
記事のようにいまだに空を飛ぶ戦闘機とその功罪の評価が議論されているのは次世代の戦闘機開発にも参考になることだろう。
そういうところなんだろうな・・・。