文化大革命で支那の文化を破壊尽くした人物でもある毛沢東。
文化大革命の名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動だった。
しかし実際は、大躍進政策の失敗によって国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲った毛沢東共産党主席が自身の復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であった。
これにより1億人近くが何らかの損害を被り、国内の大混乱と経済の深刻な停滞をもたらした。
例え建国の父であろうと文化大革命の罪は大きい。
犠牲者は支那事変で失った数より多く、そしてより悲惨な死に方や扱いを受けた人民は「抗日戦争」の比ではないだろう。
そんな毛沢東の遺体を剥製いや保存して見世物にして世界遺産にしようなんてなんて自虐的で皮肉なことをするのか・・・・・。
以下産経ニュースより転載
【北京=西見由章】北京市当局は、中華人民共和国の建国を指導した毛沢東の遺体を安置する「毛主席記念堂」などについて、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産への登録を目指す方針を明らかにした。
だが毛沢東が発動した政治闘争「文化大革命」(1966~76年)では多くの寺院や文化財が破壊されており、インターネット上では「中華文明を破壊した人物」だとして疑問の声も上がっている。
国営新華社通信によると、北京市が登録を目指しているのは、いずれも明代に創建された北京の外城の正門「永定門」と時計台「鐘楼」を結ぶ南北7・8キロの「中心軸」と呼ばれるエリア。
新中国建国後につくられた毛主席記念堂や人民英雄記念碑のほか、毛沢東の肖像画が掲げられている天安門、すでに世界文化遺産に登録されている故宮(旧紫禁城)など14カ所で構成される。
2035年までの登録を目指すという。
毛主席記念堂では防腐処理を施した遺体が展示されているが、個人崇拝につながるとして、火葬を求める声も根強い。
当局は今後「中心軸」周辺住民の立ち退きを進める方針という。
(産経ニュース)
毛主席紀念堂は、中国の首都北京の天安門広場にある毛沢東の廟。
中では防腐処理の上で保存された毛沢東共産党初代主席の遺体を観覧できるようになっている。
入り口の「毛主席紀念堂」の金文字の彫刻は華国鋒次代主席の揮毫。
毛沢東死去直後に次代の中国共産党主席である華国鋒によって建設が決定され1976年11月に着工し、毛沢東死去1周年の1977年9月9日に落成した。
平休日に関わらず入場者が長い列を作っており、たいてい入館までにかなりの時間を要すことになる。
朝一番は中国各地からの団体客が多く、もっとも混雑する時間である。
貴重品以外の持込は厳禁。手荷物は、列に並ぶ前に預かり所に預けること(有料)。
荷物預かり所は天安門広場の外、道路を隔てた東側の建物内にあるため、要注意。
特にカメラの持込は禁止されており、長時間行列したあとでもポケットのふくらみ、金属探知機などで係員に発見されると、預かり所に行った後並びなおすように指示される。
ボディーチェックについては強化されており、入場者は敷地内の小屋で金属探知機による検査を受けなければならない。
世紀の英雄かそれとも世紀の極悪人にして独裁者が評価は分かれるが、習近平は将来こんな風に剥製にして見世物になりたくて「主席」と呼ばれたいのだろうか?
独裁者をこうやって・・・共産主義国というのは平等で公平なんてものを一番虚構なのだと思わせてくれる社会だね。
日本で学生運動から左翼の過激派が暴れまわった時代、「銃から、政権が生まれる」という毛沢東の言葉に触発され、連合赤軍は「銃による殲滅戦論」を叫び、銃砲店を襲い銃を入手して「あさま山荘事件」で銃撃戦を行った。
日本にも決して良いことはしなかった毛沢東。
ゲリラ戦で日本軍と戦った八路軍は昨今の抗日戦争映画では日本軍と対等に戦ったかのように描かれているが、これもそれも支那共産党の教育の賜物か史実や事実は歪曲されて毛沢東の罪は忘れて英雄に美化されてしまっているのか?