陸自初の女性連隊長・澤村満称子1佐 「何とかしたい!」という思いは強まるばかり | 戦車兵のブログ

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陸自初の女性連隊長が誕生した。


旧日本陸軍でもいなかった女性連隊長だ。


連隊長は一佐職、旧軍なら「大佐」だ。


しかも防大出身じゃなく一般幹候出身というのがいいね。


第6後方支援連隊は、山形県東根市の神町駐屯地に駐屯する第6師団の隷下部隊である。


去年の8月1日付で第6後方支援連隊連隊長に上番した。


以下夕刊フジより転載



 陸上幕僚監部装備部で需品班長を務めていたころ、彼女の存在感が大きかったのは、「陸上自衛隊初の陸幕女性班長が誕生した」ということだけではなかった。


その職責を期待以上に果たしていたからだろう。



 「需品」という職種は、被服や糧食(=備蓄・携行する食糧)などを所掌している。


それらが重要であることは誰もが分かっているが、どうしてもなおざりにされてしまいがちだ。


昨今のような厳しい安全保障環境下では、なおさら優先順位が低い。



 そんな「逆風」のなか、澤村1佐は懸命に部隊隊員たちが困らないように尽力した。



 「両親は国連などの国際機関で働くことを希望していたんです」



 南山大学(名古屋市)を出て、就職は外務省を目指すも失敗。恩師の勧めで自衛隊を受験したという。



 「お世話になった先生でしたので、むげにもできず『とりあえず受けてみよう』って感じでした」



 どうせ行くことはないという気持ちの方が強かった。しかし、運命は裏腹な方向へ。幹部候補生学校に合格したのだ。



 「どうしよう! というのが正直な思いでした」



 昨日まで女子大生、しかも自衛隊幹部になる教育を受ける防衛大学校とは縁もない私大から、防大卒の面々と交じっての生活が始まるなど思いもよらず、抵抗感が拭えなかった。だが、自衛官たちと話をすると次第に考えが変わった。



「誠実な方ばかりでした。『こういう人たちがいるところは、とても良い組織ではないか』と思い始めたんです」



 食わず嫌いで決めるのはやめようと、思い切って自衛官となった。


3年もすれば辞めて結婚でもするだろうと踏んでいたが、その後の展開はガラリと変わった。



 「泥まみれになって必死に頑張る人たちがいました。10~50代までの20人ほどの小隊長に、1年のキャリアで何も知らない私がなるんです」



 演習ではみんな、地べたで食べているのに小隊長には机と椅子が用意され、てんこ盛りのご飯が運ばれる。


夕方になれば半長靴を磨いてくれる。



それは居心地の良い地位というより、「実力組織の指揮を執る責任」を自覚せざるを得ない経験だった。



 「彼らの姿を見て、とても『辞める』とは言えませんでした。そんなことを言ったら、彼らまでを否定してしまうような気がしたんです」



 体育は決して得意ではなかったが、部隊の隊員たちが駆け足のタイムを縮めるために盛り上げてくれた。


部隊で指揮官を育てるようなところが自衛隊にはあるのだ。



 結婚は30歳を過ぎてからだった。


現在は元自衛官の夫を東京に残し、山形県東根市(神町駐屯地・第6後方支援連隊)で単身赴任の生活だ。



現職に抜擢(ばってき)されたときは、約730人を率いるプレッシャーも感じたが、着任した途端に吹っ飛んだ。



 「隊員たちの前に立った瞬間にシャンとしました」 



 後方部隊は実は非常に忙しい。



災害派遣、国際活動、緊急援助隊などあれば、まず必要となる。


そのため、基本的に隊区を離れることはできないし、『常時待機』の体制と言っていい。



そんななかで個人的な不安など、どうでもいい心境になった。



 総括班長のときに熊本地震が発生し、現場に赴いたことがあった。


現場からは多様な要望が上がってくる。


それらを「聞く」のが仕事だったが、今度は現場の不備不足を実際に体感する側となった。



 「隊員たちの生活環境を見て、『予算を獲得した』と満足していた自分を猛省しました」



 部隊内の宿舎や備品を見て力が抜けた。



防衛省の机の上で寝る間も惜しんで頑張っても、約15万人の隊員に物が行き渡るには何年も時間がかかるのだ。


認識していたよりも現場は悲惨なものだった。老朽化が激しいだけでなく、機械化という言葉も無縁に近い。



 そのため、多くの仕事を人が担うことになる。人員は減っているのに、である。しかし、最も驚いたのはそこではない。



 「そんな状態が、当たり前だと思っているんです」



 不満が出ないのは、そうした環境しか知らず、反比例の構図に気づく暇もないから。



「作業に時間がかかるのは自分たちのせいだ」と思ってしまっている。IT化や効率化、そして、「働き方改革」と言われるが、自衛隊への浸透は不十分なのだ。



 職種柄、隊員たちの使っている物に目がいく。



 「自衛官が身に着ける物は、本来、プロ野球選手の道具のような物です」



 崇高な使命感をもって任務に就いてもらうために、ボロボロの物ではいけない。澤村1佐の「何とかしたい!」という思いは強まるばかりだ。




 ■澤村満称子(さわむら・みなこ) 1971年10月3日、東京都生まれ。


46歳。


94年に南山大学卒業後、95年、陸上自衛隊入隊(幹部候補生)。


2011年、後方支援連隊補給長、15年、陸上幕僚監部装備部(需品)総括班長、同年、陸上幕僚監部装備計画部(装備計画)、17年、第15代第6後方支援連隊長。



防衛問題研究家の桜林美佐さんの記事らしいね。



澤村満称子連隊長の画像を見て・・・・なんで挙手の敬礼や不動の姿勢をしている時に親指を拳の中に入れているのだろうか・・・。


ただそこだけが気になってしまう・・・・。