追悼・佐藤大輔氏逝く | 戦車兵のブログ

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作家の佐藤大輔氏が亡くなった。

 

虚血性心疾患のため亡くなった、まだ52歳であった。

 

私は面識もないが、たまたま共通の友人が二人いて特に小林源文先生の劇画の登場人物として知られている。

 

 

作家としては近世ヨーロッパに相当する科学技術と日本風の文化、龍や「導術」と呼ばれる超能力などが混在する架空の惑星を舞台にした『皇国の守護者』(1998年 - )があり好きな作品であった。

 

 

佐藤大輔氏は、『逆転・太平洋戦史』(1991年)で架空戦記作家としてデビューする。

 

 

この頃は歴史評論も手がけ、KKベストセラーズのワニ文庫や徳間書店から発行されていた季刊誌『奇想艦隊』に多くの投稿を行っており、後の作品において示される歴史観の原型が見られる。

 

 

そして、分断国家となった日本のもう一つの戦後を描いた『征途』(1993年 - 1994年)で確固たる評価を得た。

 

 

1990年代半ばにはゲーム版の設定を大幅に改訂し、日独による第三次世界大戦を描いた小説版『レッドサン ブラッククロス』(通称「RSBC」、1993年 - )をはじめとして多数のシリーズ物に着手した。

 

 

『征途』の発表から1990年代末まではほぼ架空戦記ないしその要素の強い作品の執筆に集中し、ゲーマー出身者に限らない新たな読者層を獲得して佐藤大輔=架空戦記作家と言うイメージが定着する。

 

 

 

第3護衛隊群護衛艦しまかぜに3泊4日の同行取材を敢行、乗艦は出港前ではなくSH-60Jに便乗して洋上着艦を経験する。

 

 

乗艦前に元自衛官、海軍軍人に意見を求めたところ、「海に出ている艦の艦長をおたくな質問で煩わせるな、(中略)とにかく艦長を見ていろ。それでそのフネがどんなものかわかる。」と忠告されたと言う。

 

 

また、組織として「艦がどのように動いているか」を見学の要点として希望したため、幹部待遇にも関わらず艦の幹部たちと交わす会話は少なく、自衛官等の訓練作業の様子を間近で観察することに徹した。爾後ルポが『セキュリタリアン』に掲載される。

 

 

小林源文先生もツィッターで追悼している。

 

最後に会ったのはオウムの地下鉄サリン事件の日だったそうだ。

 

 小林源文先生のツィッター【佐藤大輔氏に捧げる・その4】では、佐藤大輔氏は半年以上も髪もひげも伸び放題で、プチ浅原ショウコウだったので、「尊師!」と小林先生が最敬礼した思い出があるそうだ。


そして「成功者には100人の父がおり、敗北者は孤児である」の例えがある。佐藤大輔氏の小説は薄い東京の優しい掟と、もう一冊しか読んだことがないという。

 

 

 小林源文先生の劇画では、ある時は自衛官、ある時は帝国陸軍中尉などいろんな作品に登場していた。

 

 「中村ーー!!」と中村三曹をぶん殴るシーンはもう小林作品の定番と言っていい。


ちなみに小林源文先生の作品は実差財の人物をモデルにされていることも多く、知った顔が登場するのでとても面白いです。

 

 

 

 謹んで御冥福をお祈りいたします。