「狂犬」と「狂人少佐」の不思議な関係 3日来日のマティス国防長官、実は… 名将にあだ名あり | 戦車兵のブログ

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産経ニュースの軍事ワールド「名将にあだ名り」の最終回はジョン・ボイドだ。

アメリカ空軍大佐で航空戦術家・軍事著作家として知られ、戦闘機パイロットでもある。

渾名は

「40秒ボイド」

「ゲットー大佐」

「ジンギス・ボイド」

などだ。


以下産経ニュースより転載



トランプ新大統領の就任に合わせ、「狂犬」のあだ名を持つジェームズ・マティス氏も国防長官に正式に就任。



3日に日本を訪れ稲田朋美防衛相と会談する。米マスコミでは常に「MAD DOG(狂犬)」という単語とセットで説明されるマティス氏だが、その本当の姿を知るカギは、一人のパイロットにある。


「MAD MAJOR(狂人少佐)」と呼ばれたジョン・ボイド(1927-1997)だ。(岡田敏彦)



40秒ボイド



 ジョン・ボイドは米空軍の操縦士として朝鮮戦争で実戦を経験した後、英才教育を施す米空軍戦闘機兵器学校(FWS)に入校、飛び抜けた優秀さで教官になった。



ボイドの伝記「BOYD」(ロバート・コラム著)によると、ボイドは腕利きの生徒を模擬空戦の“賭け”に誘っていた。



生徒がボイド機の背後に着いた絶体絶命の状態からスタートし、「40秒で立場を逆転させられたら、私の勝ちだ」。



多くの生徒が挑んだが、ボイドは教官だった6年の間、無敗を誇り、「40SECONDS BOYD」のあだ名がついた。




世界初の「空中戦の指南書」



 無敗には理由があった。ボイドは体力と経験と根性の世界だった空中戦の世界に、熱力学を持ち込んだ。



 上昇とは位置エネルギーを得ることで、急降下は位置エネルギーを運動エネルギー(速度)に変換することだ。


こうしたエネルギー変換をスムーズに行い、空気抵抗などで失ったエネルギーを、翼の揚力とエンジンの推力で補いながら戦うのが「空中戦(ドッグファイト)」の神髄だ。



 ボイドはFWS配備の各種戦闘機で飛行を重ねて理論を実証し、約150ページの冊子にまとめた。


そこには「ハイスピード・ヨーヨー」や「バレルロール・アタック」といった斬新な空中戦技が図と数式を交え説明されており、機密部を除いた簡易版は何度もコピーを重ねられ世界各国の軍に広まった。



21世紀の今も空中戦の基本だ。



チンギス・ハーン



 ボイドは研究を続け、空中戦に強い戦闘機の条件を解明する。



それはエネルギー機動(E-M)理論としてまとめられ、ボイドは米空軍内で戦闘機研究の第一人者となった。



ただし、研究中に他部署から強引に人材を引き抜いて仲間としたり、軍のコンピューターを無断で使ったりと異例の行動が続き「狂人少佐」とのあだ名がついた。



 1966年には、迷走するF-15戦闘機の開発チームに切り札として送り込まれ、基本構想をまとめた。



続いてE-M理論に基づいて空中戦に特化した、安価で大量配備できる戦闘機の構想を練る。



空軍上層部はF-15配備の予算が減るとしてこの動きを潰しにかかったが、ボイドは“さらに上”の国防長官と空軍参謀総長を味方に付け、空軍将校たちの知らぬ間に正式採用と量産を既成事実化した。



そうして誕生したのがF-16戦闘機だ。



ボイドの“強固な意志”は、モンゴル帝国を築いた皇帝チンギス・ハーンのようだとされ、「チンギス・ボイド」と呼ばれた。



OODAループ



 空軍との関係が悪化したボイドは大佐で退役したが、米国防総省はその頭脳を手放さず、コンサルタントとして留め置く。



そして米軍を根底から変革する一大研究が始まった。



 今度は空中戦ではなく、戦争に勝つ「戦略」を解き明かそうとしたのだ。



紀元前の戦いから孫子の兵法、そして本稿1回目で紹介した韋駄天ハインツの電撃戦やロンメル将軍の砂漠の戦い、マッカーサーの朝鮮戦争まで、古今東西の戦史を分析し、新たに「OODA(ウーダ)ループ」理論を構築した。



 OODAは観察(Observe)-情勢判断(Orient)-意思決定(Decide)-行動(Act)の略だ。誰もが意識せず自然に行っていることだが、4段階に分けることで問題点が浮かぶ。



特に「意志決定」は、他人が知りようのない、極めて個人的な過去の体験が大きく影響する-といった分析が注目を集めた。



 ただ、OODAループは自身や味方の改善が最終目的ではない。それは敵に対して使うのだ。



 虚実織り交ぜた情報(一つ目のO)を敵に与え、二つ目のO(情勢判断)を不可能にするのだ。



OとOの間で堂々巡りをさせ、決して正しいAにたどり着かせない。



敵の司令部を混沌と麻痺に陥れ、我に返ったときには「もう戦っても勝てない」と絶望させる-。



それがボイドの考案したOODAループによる「機動戦闘(Maneuver warfare)」だ。




 これに米海兵隊が興味を示し、隊内の水陸両用戦闘学校(AWS)が講義を求めた。ただ、OODAループは難解な理論で、同校の1コマ2時間の授業では説明しきれない。



ボイドの「5時間かかるぞ」という要求を学校側はのみ、1980年1月、海兵隊の本拠地バージニア州クアンティコで、スライド185枚を使う大講義が始まった。



 コラム氏の著書によると、ボイドは紀元前371年のレオクトラの戦いや、孫子の兵法、ナポレオンに韋駄天ハインツなど古今東西の偉大な指揮官の戦い方を紹介しながら縦横無尽に論を進め、OODAループと機動戦闘を説いた。



5時間の授業と聞いて辟易していた生徒たちは、講義が進むうちに考え方を変えた。



「このじいさんはよそ者だが、誰よりも戦術や戦略を知っている」。



講義終了後は質疑応答が続き、8時間後もボイドは熱心な生徒に囲まれ質問を受けていた。



“ボイド教室”は定期開催が決まった。



フォースと共に



 ボイドは陸軍幹部を養成する「陸軍先進軍事学校」でも講義を行った。



OODAループと機動戦闘をマスターした士官たちは、常人には思いつかない作戦を立案できる「不思議な力」を使うと他の軍人から見られ、当時流行の映画にちなみ「ジェダイの騎士」と呼ばれた。



海兵隊でも89年に主軸となる戦闘マニュアルを“ボイド流”に更新した。



そして実戦が起こる。



 90年8月、イラクがクゥエートに突如侵攻。



翌91年、多国籍軍によるクウェート奪還を目指す「砂漠の嵐」作戦が発動される。



 多国籍軍を率いるノーマン・シュワルツコフ米中央軍司令官(1934-2012)は当初、ほぼ無策とも言える正面攻撃を主張したが、味方の損害を考えていないなどと猛批判を受け、急きょ4人の「ジェダイの騎士」を呼び寄せる。



ボイド自身もディック・チェイニー国防長官にホワイトハウスへ呼び出され、作戦立案に加わった。



 イラク軍は、イラクの南側に位置するクゥエートが主戦場になるとみて近辺に部隊を展開した。


気になるのは東側のアラビア海に多数集まった米軍艦船だ。



米海兵隊の上陸作戦はいつ始まるのか-。




死のハイウェイ



 しかし米海兵隊は事前に別地点から上陸し、クゥエート南部から攻撃。



そして本隊の陸軍機甲師団は砂漠を大迂回して西側からイラク本国に侵攻し、イラク軍主力の側面後方を突いた。



 このうえ海兵隊に上陸されれば、包囲殲滅されてしまう-。



もはや戦っている場合ではない。



イラク軍は混乱に陥り、包囲の輪を抜けるため退却を始める。



クウェートとイラクを結ぶ高速道路80号線はイラク軍の戦車やトラックなどで大渋滞となり、夜を迎えた。




 赤外線暗視装置を搭載した多国籍軍の戦闘機が道路を猛爆し、夜が明けたとき道路は黒こげの車両で埋まっていた。



以降、80号線は「死のハイウェイ」と呼ばれ、ボイドらが立案した主力の大迂回は「砂漠の左フック」として戦史に刻まれた。



ちなみに沖に浮かんだ艦船は囮で、上陸作戦など存在しなかった。



イラク軍は二つ目のO(情勢判断)において「必ず上陸してくる」との誤った先入観に支配され、惨敗した。



後を継ぐ者



 この湾岸戦争でマティス氏は第1海兵大隊長として主力の一端を担ったが、その素顔は「狂犬」とはほど遠い。



実はマティス氏もボイドが講義したAWSの卒業生で、OODAループと機動戦闘をマスターした一人なのだ。



 ボイド同様、戦史の研究に没頭し、蔵書は7000冊ともいわれる。



部下に「自分の経験から学ぶより、他人の経験から学ぶほうがベターなのだ」と読書を猛烈に薦めた。



海兵隊にはいまも「海兵隊員が読むべき本のリスト」がある。



 狂犬とあだ名される理由のひとつには、部下に「(街で)出会うすべての人間を『どうやったら殺せるか』と常に考えろ」と諭したとのエピソードがある。が、これはボイドの「常に情勢判断(2つめのO)をするべし」という言葉そのものだ。



 もうひとつのあだ名「戦う修道士」こそ、その体を示している。



独身のマティス氏は、クリスマスの日に既婚の部下の当直番を内緒で代わってやったり、深夜に最前線のピット(少人数用の塹壕)に突然現れて兵士と話し合うなど、リッジウエイ同様にリーダーシップの鑑とされている。



 マティス氏の大佐時代のコードネームは「CHAOS」(混沌)。



だが、兵士たちはそこにもうひとつの意味をつけた。



「Colonel Has Another Outstanding Solution」。他より際立って優れた解決策を持つ大佐、の略なのだと。



(産経ニュース)



ボイドは19歳でアメリカ陸軍に入隊し、航空軍に配属された。



水泳教官として連合国軍占領下の日本への駐留を経験したのち、1947年に除隊し、復員兵援護法を活用してアイオワ大学に入学した。



同大では予備役将校訓練課程(ROTC)に所属していた。



1951年には、ROTCにしたがってアメリカ空軍に再入隊した。



当時、アメリカ軍は朝鮮戦争を戦っており、入隊間も無いボイドも朝鮮に派遣された。



彼はここでF-86の操縦士として、22回の実戦出撃を経験した。



この経験は、ボイドが後に創案した各種の理論の土台となった。



終戦後には、アメリカ空軍戦闘機兵器学校(FWS)において、F-100の教官を務めた。


まもなくボイドは、FWSにおいてもっとも影響力のある空中戦戦術家と目されるようになった。


再入隊の予備役将校訓練課程(ROTC)出身将校という経歴が異色である。


ROTCは、主に大学に設置された、陸海空軍および海兵隊の将校を養成するための教育課程のこと。


予備役将校養成課程、予備役将校訓練団、予備役将校訓練部隊、予備役士官訓練課程とも呼ばれる。


アメリカにおけるROTCは陸海空軍、および海兵隊の将校を育成するため特定の州立大学、私立大学に設置された教育課程のことであり、当該課程の修了者は陸軍士官学校・海軍兵学校などの卒業生と同様に初級将校に任官する。



普通アメリカでROTCといえば陸軍のROTCを指す。



海軍、空軍のROTCはそれぞれNROTC、AFROTCと呼ばれる。



海兵隊はNROTCに組み込まれる。



ROTCに参加している学生の呼称はカデット(Cadet 陸軍、空軍)、ミジップマン(Midshipman 海軍、海兵隊)。



現在の米軍士官の約40%がROTCの出身といわれる。


各軍将校のROTC出身者比率は陸軍の56%が最も多く、海兵隊の11%が最も少ない。



現時点で沿岸警備隊にROTC制度はない。



ROTCでは、一般学生に混じって授業を受けながら、同時に軍事訓練を積み軍人教育を受ける。



卒業後数年間、正規兵あるいは予備役、州兵として軍役に就くことが義務付けられる。


在学中は基本的に召集されないことになっているが、非常事態時には国会の命令により召集可能。


過去に一度、第二次世界大戦中にウェストポイントのカデットが召集されたことがあるが、一般大学のROTCのカデットが召集されたケースは今のところない。


在学中は学費の一部あるいは全額支給に加え奨学金数百ドルを受け取り、卒業後は士官として入隊することができるため競争率は高い。



高校、あるいは大学の成績とSATの点数に加え、犯罪歴や借金の有無のチェック、身体測定や運動能力テストを課される。



不況時とアメリカ同時多発テロ事件などの国家危機時に志願者が増えると言われている。



元国務長官コリン・パウエルもROTCの卒業生である。



ROTCはアイビーリーグを含む全米のあらゆる大学に支部を持っている。


日本には無い制度だ。


少子化が国防を蝕む現状で、大卒でも二士で自衛隊へ入隊する者が多い。


大卒なんだから幹部に・・なんて思っている人は一般幹候などいろいろ制度があるから受けてみるといい。


狭き門だからね。


正規の自衛官でなくても予備自衛官補などの制度があるが、一般と技能があり、技能は能力や資格や免許で幹部や陸曹に階級が指定される場合もあるが大学生とか若者は一般だろうね。


幹部養成制度は若者にこそ教育し予備役の確保が重要である。


旧軍も海軍予備学生、陸軍の幹部候補生制度があったからね。


まぁ今の日本じゃ無理だろうね、戦争になれば東大出身だろうが中卒だろうが2士になって戦うことになるんだろうけどね。


そうしなければ学歴なんて関係のない他国の支配を受けることになるんだから。