竜巻作戦 | 戦車兵のブログ

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竜巻作戦(たつまきさくせん)とは太平洋戦争期に日本海軍が計画した特四式内火艇を利用した奇襲作戦である。






竜巻作戦は、水陸両用戦車を魚雷艇に改造し、敵の艦船を急襲する戦法である。




「特四式内火艇」と名付けられた水陸両用戦車の使用が計画され、サンゴ礁外で潜水艦から発進、魚雷を搭載して接近し、湾に張り巡らされた潜水艦防止網のリーフを越えるため、島嶼部に上陸した後に再び潜水し、礁湖内の泊地にあるアメリカの艦隊を攻撃する作戦である。



藤森康男



軍令部潜水艦担当作戦課員藤森康男中佐は「このような構想はガ島撤退の直後から従来の正攻法に対しもっと奇襲作戦を考えようというのが出発点で、防潜網を乗り越えて攻撃できないかと考えていた。




十八年末ごろ、呉工廠の考案を知り特四式内火艇の実験を行ない一応の成果を得た」という。




呉海軍工廠造船実験部に勤務中の堀元美技術少佐は、ガ島輸送作戦の戦訓から輸送用の水陸両用戦車を考案していた。


黒島亀人



また、海軍省軍務局局員吉松田守中佐によれば「ケゼリン来攻直後の朝六時半ごろ、黒島亀人軍令部第二部長に呼び出され、大発に魚雷を積んでリーフを越えて攻撃する案を突然言われた。黒島部長の構想は潜水艦九隻に各二隻ずつ積み奇襲作戦を実施するもので、四隻試作し甲標的の搭乗員を充当し、情島にQ基地を作り訓練を開始した」という。




これらの回想から特四式内火艇は藤森部員の発想をマーシャル在泊の米機動部隊攻撃のために黒島亀人部長が取り上げ実験するに至ったものと戦史叢書は推測している。





瀬戸内海の広島県呉市情島、後に対岸の倉橋島の秘密基地で約800人が実戦訓練を受けた。





1944年1月末、アメリカ軍はマーシャル諸島への侵攻を開始し、2月上旬には同地区を勢力下に治めた。




この攻撃に対する反攻計画として雄作戦が立案された。



この作戦で航空作戦とともに竜巻作戦が予定されていた。




しかし、海軍乙事件によって雄作戦案は消滅する。




1944年夏に予定されていたあ号作戦計画に取り入れられたが、中止された。




4月26日本作戦について中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将は情勢に適応しないとの理由で反対を表明しているが、連合艦隊司令部は既定の計画に従って5月3日「あ」号作戦命令の一部として発令した。




しかし、特四式内火艇にエンジンの轟音、低速、キャタピラが小石で破損するなど性能上の欠陥があることが分かり、5月12日本作戦の実施は不可能と判断され、延期された。