激戦の地・硫黄島で戦没者しのぶ慰霊祭 旧島民の里帰りも | 戦車兵のブログ

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硫黄島へは一般人の立ち入りが制限されている。


慰霊祭など決められた日だけ許されている。


以下産経ニュースより転載





 先の大戦で激戦が繰り広げられた硫黄島(東京都小笠原村)で14日、戦いで命を落とした当時の島民や兵士らをしのぶ慰霊祭が営まれ、旧島民や戦没者遺族らが献花し、平和への思いを新たにした。



式典終了後には戦前集落があった場所に旧島民らが“里帰り”する姿も見られた。



 慰霊祭は、旧島民やその家族、村民の訪島事業の一環で、小笠原村が平成9年から毎年行っている。



今年は約170人が参列した。




 硫黄島の戦いで父の哲次さんを亡くした蕨野(わらびの)忠吾さん(71)は「今は幸せに暮らしているが、終生枯れることのない悲しみがあることを忘れることはできない。戦いの真実を正しく公正に伝えていくことを誓った」と話した。



 また、旧島民と家族ら約40人は、現在はジャングルや自衛隊基地になっている、かつて集落があった場所に分かれて入り、雑草を刈ったり、花を供えたりして故郷をしのんだ。




 旧島民の浅沼芳雄さんが平成13年に亡くなった後も毎年訪島を続けている妻のヨシ子さん(88)は、長男や長女、次女、孫と芳雄さんが島内で住んでいた家の跡地を訪問。



足の悪いヨシ子さんに代わって子供らが家のあった場所の草刈りを行った。



 ヨシ子さんは「夫とも何度もここを訪れた。



砂糖工場があって、牛や鶏を飼って、それは豊かな生活だったそうです」と目を細めた。



 昨年から参加している孫の賢一さん(36)は「祖父が育ったところを見てみたいという気持ちがあった。



旧島民の方から祖父や祖父の家族の話を聞けるので、気持ちを引き継いで訪問を続けたい」と話していた。



(産経ニュース)



硫黄島だけでなく、日本人が多く亡くなった戦場へ立ち入りが制限されていたりなかなか行くことが出来ない島々はたくさんある。


まだ行けるだけ良い方なのかも知れない。