エンドウ沖海戦 | 戦車兵のブログ

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軽巡洋艦川内


1942年1月27日にマレー半島南部エンドウ沖で生起した海戦「エンドウ沖海戦」が起きた日。


エンドウ沖海戦(エンドウおきかいせん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)初期、1942年1月27日にマレー半島南部エンドウ沖で生起した海戦。

駆逐艦天霧


マレー半島での上陸作戦が順調に進みつつある昭和17年1月、日本軍は陸軍第3飛行集団の蘭印攻略作戦実施に必要な航空資材を、マレー半島南部東海岸にあるエンドウに輸送する作戦を立てた。



この航空資材を搭載する輸送船は、かんべら丸と関西丸の2隻で、第18師団をタイのシンゴラに輸送する11隻の輸送船団とともに1月20日、カムラン湾を出港した。

駆逐艦白雪


22日、シンゴラに到着した輸送船2隻は、駆逐艦4隻に護衛されて、24日夜シンゴラを出港してエンドウに向かった。


途中からは第3水雷戦隊を基幹とする第一護衛隊本体も合同した。


船団は26日午前10時45分頃にエンドウ沖の第一泊地に投錨し揚陸を開始した。


午前9時からは陸軍の戦闘機が常時10機ほど上空警戒を開始した。

駆逐艦初雪


第一護衛隊の艦艇は、軽巡洋艦川内、駆逐艦天霧、夕霧、朝霧、吹雪、白雪、初雪、第一号~第五号掃海艇、特設掃海艇2隻、駆潜艇3隻特設監視艇5隻の22隻で、揚陸作業が終了するまで直衛警戒にあたった。



この船団は、エンドウに到着する前に英軍に発見されており、英軍は航空機で4回攻撃を行ったが日本軍の上空直衛機に阻まれて多数の航空機を失った。


イギリス駆逐艦サネット


英軍は当時シンガポールに在泊していたイギリス駆逐艦サネットとオーストラリア駆逐艦ヴァンパイアを出撃させた。



揚陸中の日本軍船団にイギリス駆逐艦サネット 、オーストラリア駆逐艦ヴァンパイアが攻撃をかけ、これに対し、日本軍の護衛艦隊(軽巡洋艦川内、駆逐艦6隻)が迎撃した。


オーストラリア駆逐艦ヴァンパイア


海戦は暗夜の中行われ、結果は、サネットが沈没し、日本側は白雪の乗員1名が重傷を負っただけだった。


海戦には勝利したが、兵力差を考えると日本海軍にとって不出来な一戦といえる。