ブローニングM1919重機関銃 | 戦車兵のブログ

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北海道在住でマニアックなメカとしての戦車じゃなく、戦車乗りとしての目線から自衛隊や戦史、戦車を見る!!。
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自衛隊ではキャリバー30と呼ばれ、特に戦車乗員から連装銃として長年使われ、現在の74式車載機関銃が故障や装弾不良が多いことから古い戦車乗りはキャリバー30は故障も少なく手入れも楽なことから絶大な信頼を得ていた。


ブローニングM1919重機関銃(ブローニングM1919じゅうきかんじゅう)は、1919年にアメリカ合衆国で開発された重機関銃である。


第二次世界大戦前のアメリカ国内は他国に比べると工業や産業共に優れた技術を持っていた。そのため民需技術であっても物品に対する量産性が優れていた。

この機関銃は第一次世界大戦で他国の軍装備が新型化しているのに驚いたアメリカ陸軍が急遽、制式採用したもので、その後は陸軍の主力機関銃として活躍していった。


しかしM1917は銃身の冷却方式に水冷方式を採用していたため、野戦などで水を探すことが難しい戦場では厳しい条件となった。


また、冷却装置や水タンクなどが銃身部に装着されるため、どうしても銃自体の重量がかさんでしまう欠点があった。


他国の機関銃の空冷式化が進む中、アメリカ、ブローニング社の社長であったジョン・ブローニングは空冷式の機関銃を開発を進めることになった。


改良自体は順調にすすみ、1919年にM1917の銃身に水冷化装置の代わりに放熱ジャケットをかぶせたブローニングM1919重機関銃を開発、生産にはゼネラルモーターズ社ほか多くのアメリカ企業が参加し、大量生産をおこなった。


発射機構は機関部の反動を利用したショートリコイル式を採用し、弾薬の給弾方式には従来の布式給弾ベルトから金属リングベルトに改良されている。


初期に開発されたM1919は水冷方式だが改良後、銃身に放熱ジャケットを取り付けた空冷方式を採用している。


シンプルな構造や部品数の少なさは同時に大量生産を可能とした。


射撃には通常2名で操作し(射手・助手)、バリエーションも改良を重ねた結果数種類に及んだ。

第二次世界大戦では、中隊機関銃としてはもちろん、戦車や軍用ジープへの車載機関銃として、または銃自体の重量を軽くして航空機銃としても使用(航空機銃としてのディジグネーションはM2)され、各戦線で広範囲に使用された。


なお、アメリカ陸軍の類別ではM1919は中機関銃(Medium machine gun)である。


第二次大戦当時は水冷式のM1917は「重」中機関銃として歩兵大隊の機関銃中隊に、空冷式であるM1919は「軽」中機関銃として歩兵中隊の重火器小隊にそれぞれ配備されていた。

この当時の重火器小隊は編成人員が過少で、機関銃、迫撃砲、バズーカのいずれも携行弾薬が少なすぎ、陣地に拠れる防御戦時には目立たなかったが、攻撃前進を行う場合には火力支援を続けきることが難しく欠陥を露呈した。


また、M1919A6では銃床と二脚を装着し軽機関銃ないしは汎用機関銃として使用できるように改良されているが、これはさすがに無理があり、将兵には重すぎて扱いにくく不評であり、より軽いブローニングM1918自動小銃が多用された。

第二次大戦後も、朝鮮戦争からベトナム戦争にわたってM1919シリーズは使用されてきたが、1958年に後継のM60機関銃が採用されると第一線からは順次退いていった。



海外にも多くが輸出・供与され、給弾や機動性に多少難はあったものの、他の機関銃に比べ故障が少なかったM1919は輸出先からも好評価を得た。

南アフリカ共和国ではライセンス生産も行なわれ、20世紀末まで主力機関銃の座にあった。


外国に輸出されたM1919は現在も他の軍隊で使用されている可能性が高い。


戦後日本にも供与され、警察予備隊及び自衛隊が装備していた。

戦車や装甲車(兵員輸送車)の車載機銃としても採用され、61式戦車にも車載機関銃として搭載されており、2000年に同車が退役になるまで使われていた。

ブラッド・ピット主演の映画「フューリー」で配属された新兵が任かされた任務が前方銃手である。


まさしくキャリバー30を使って戦うシーンが出て来る。


是非映画を見て確認して欲しい。