吉田松陰の御命日 | 戦車兵のブログ

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安政6年(1859年)11月21日、老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(満29歳没)。


吉田松陰先生については以前紹介しているので割愛しますが、少しだけ書きます。


吉田松陰先生は「草莽崛起」を提唱されていました。


「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。


「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを指す。“在野の人よ、立ち上がれ”の意。


安政の大獄で収監される直前(安政8年(1859年)4月7日)、友人北山安世に宛てて書いた書状の中で「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」と記して、初めて用いました。


今、日本は内に反日や皇室を認めぬ左翼勢力、そして在日による反日活動があり、外には中国の侵略や韓国の反日活動など日本を取り巻く環境は極めて不味い状態にあります。


今こそ吉田松陰先生の「草莽崛起」が必要なのです。


「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」


「志を立ててもって万事の源となす」


「我れ狂か愚か知らず 一路遂に奔騰するのみ」ですね。