佐久間勉艇長と軍国美談 2 | 戦車兵のブログ

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なんという徹底した合理主義であろうか。

「遺言を書くヒマがあったら、最後まで脱出の努力をしろ」と言う。「このような遺書を持ち上げては、ヒロイズムから真似をする者が出ると困る」とも言うのだ。

事故の原因調査の査問委員会の経過も厳密に科学的に行われている。これには感心させられた。事故調査は佐久間艇長の人物像を偶像化することをしない。

その調査結果は、世間の雑音に耳を貸すことなく、容赦なく事故の原因にせまり、佐久間艇長の責任はすこぶる大きいとする。

旧海軍には、このような合理主義的伝統があったのだ。


刻々と死の迫りくる広島湾の海底に従容として責務を果たし智と勇と人の情けを潮ひたす手帳に込めて天の命を待つ

時に明治四十三年四月十五日

ああかくてますら夫のまことの精神は世を越えて永遠に生くべし

佐久間艇長の遺書と乗組員の最後の姿は日本のみむならず感動を生んだ。


この事件は世界中に、日本人の責任感と勇敢さを示したものとして、伝えられた。

イギリスの新聞グローブ紙は、

「この事件で分かることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上も、また勇敢であるということを証明している。
今も昔もこのようなことは前例がない」

と賛辞の声を惜しみませんでした。



今日でも佐久間の命日には、出身地の福井県で遺徳顕彰祭が行われている。海上自衛隊音楽隊による演奏や、イギリス大使館付武官によるスピーチが行われている。



事故そのものが佐久間艇長の過ちがあったにせよ、軍人としての最期が立派であったとすることは揺るがないものだ。

真実というものが明らかになるとまた違った視点があるのも事実。

美談というものは作られるってことだね。